続編・永遠(とわ)に… 4


《大雅サイド》

「舞子さんと何かあったの?」
「百香…」

ベッド脇の小さな明かりが灯る部屋で、彼女が真っ直ぐな瞳で俺を見る。

「別に何もないよ。なんでそんなこと…」
「食堂で彼女のこと“舞子”って呼んだでしょ?
 名前で呼ぶなんて特別な女性(ひと)なのかなと思って…」

今にも泣き出しそうな声で問いかけてきた。

百香は勘違いをしていた。
俺と舞子のことを…。

「なんだそんな事か。彼女のことを名前で呼ぶのは、同期で同じ苗字が二人いたからだよ。
 初めは“舞子の方”とか言ってるうちに、みんな名前で呼ぶようになったんだ」
「ホントに?」
「本当だよ」

肩の上に乗っている彼女の顔を、ギュッと自分の顎の下へ引き寄せた。
だから心配するなって――。
でも百香の不安はそれだけではなかった。

「あと…私ね、屋上で見ちゃったんだ…」

あ……。
すぐに頭に浮かんだ。
あの日、屋上でいつものように煙草を吸っていたら偶然にも舞子がやってきた。
「なんで結城くんがいるの? 誰もいないと思ったのに…」
と涙をためてそう言った。
そしていきなり泣き出した舞子を深い意味もなく受け止めてしまった。
まさかそれを百香が見ていたなんて思ってもいなかった。

「違うんだよ。俺と彼女は、百香が思っているような関係じゃないんだ。
 屋上は、連れて行ったんじゃなくて彼女が偶然来たんだよ。泣く場所を探して――」


俺は舞子のことを百香に話した。

 *

舞子が付き合っているヤツは俺達の同期だった。
その同期の青木と舞子は、入社してすぐの研修期間の後、同じ大阪支店に配属した。
そしていつからか二人は付き合うようになったと青木から聞いた。
けれど先月、舞子は本社に転勤してきた。
部門が違う俺達は彼女が本社に来たのを全く知らなかった。
食堂で再会した日、どうしてか聞くと、たまたま出した企画書が通ったらしく
そのプロジェクト参加のために本社に栄転となった。
まさかと思った。
時々青木とはメールしてたけど、そろそろ結婚を考えてると言ってたから。

彼女は転勤の話しを青木にした時、てっきり止めてくれるだろうと思ったらしい。
でも青木は止めなかった。
舞子は確かに自分の企画が認められたことが嬉しかった。
そして本社行きも。
それでもやっぱり止めてほしかったのだ。
「離れたくない」と…。

屋上で俺に泣きついてきた時、思わず受け止めてしまったけれど
自分の胸で泣いている彼女を見下ろした瞬間、百香とのことがフラッシュバックし、グイッと体を引き離した。
「泣くならあいつの前で泣けよ。俺からもそれとなく話してみるから」
「うん…」

そんな中、急遽係長の代わりの大阪出張だった。
俺は青木と会って話しをした。
青木は、舞子の転勤の話は悩んだ挙句の決断だった。
男女雇用機会均等法が強く言われる今の世の中でも、女性が仕事で認められて本社へ栄転するのはほんのわずかだ。
だから青木は彼女の可能性を自分の手で壊すことができなかった。
なぜなら入社して以来ずっと彼女の事を見ていたから。

そして週末、舞子と話しをするため東京に行くと言った。
「最後に目一杯仕事して、今のプロジェクトが終わったら大阪に帰っておいで、そして結婚しよう」と言うために…。

 *

「そうだったんだ…。よかった…」
百香は安堵の息をついた。
「何もないからこそ、かえって言わない方が余計な心配をかけなくていいと思ったんだ。
 自分が百香の立場に立ったら、そうだよな…。ごめん…」
「………」
百香は黙ったままで、急に起き上がった。
「どうした? まだ信じられないか?」
「ううん。そうじゃない…」
様子がおかしいのを感じて、自分の体も起こす。

「漣と会ったの…」
「レンって…」
あいつか…。
「会ったって、どういうこと?」
「偶然会ったの…」
なんだ。偶然か。
「で、何か言われたのか?」
「私がいなくなって好きだってことに気づいたって…」
「それで?」
思わず声に力が入ってしまった。
「だから誰よりも幸せになってほしいって言われた。
 その後すぐ別れたよ。
「それ以上は?」
「やだな…。それだけだよ。別に懐かしむような過去もないし…」

ふっと笑った彼女の顔を見た瞬間、胸が引き裂かれそうになり、きつく抱きしめてしまった。
ああ…。良かった。
俺はなんて心配をしてるんだ。
今さら百香があいつの所に戻るわけないのに…。

「ごめんね。私も大雅と一緒だ…。何もないから、言わなくていいと思ってた」
「いいよ。何もなかったならそれでいい。…でも百香はその言葉を聞いてどう思った?」
髪から頬に向かって撫でながら訊く。
「なんかね、スッと軽くなったような気がしたの。
 そう言ってくれたおかげで、私の中に残っていた嫌な思い出が綺麗になくなった」
「そうか良かったな…」

いつも自分なりに彼女を傷つけないようにと思ってきた。
それは彼女の“過去”のことがあったから。
いや、そんな傷がなくても、傷つけるようなことをするつもりはないんだけど。
でも時々ふとしたことで百香が嫌な過去を一人で思い出してるんじゃないかと余計な心配をしていた。
だからレンとの一瞬の再会を、自分も彼女と同じように神に感謝した。

「ほら、横になろう」
ゆっくりと百香をベッドに寝かせ、腕に抱いた。

「しばらくは休日出勤も残業もそんなにないし、また色んなところへ出かけよう。
 そうだ。久しぶりに泊まりで出かけようか?」
「うん」
「どこがいいかな?」
「美味しいものが食べられる所!」
「そうだなぁ。中華料理は?
 この間、西村に中華街の中にある美味い店教えてもらったから」
「うん、いいよ。楽しみだね」
「楽しみだな。泊まる所、探しとくよ」
「うん」

嬉しそうに返事をした百香は、「おやすみ」と言い腕の中でぐっすりと眠った。
俺はいつもこうやって、彼女よりも後に眠ることにしている。
彼女の寝顔を見るのが好きだから。
自分の目の前で幸せそうに眠ってくれるのが、本当に嬉しかった。

 *

百香には話さなかったけれど、
実は屋上で舞子と会った時、こんなことも話した。

「結城くん、結婚は?」
流した涙をハンカチで拭き、俺の横で気にもせず手鏡で化粧チェックをしながら聞いてきた。
「考えてはいるんだけどな」
「誰? 会社の子?」
鏡から目をはずし、俺の方を驚いた顔で見た。
「そう。昨日食堂で俺の隣にいた子」
「私が結城くんと話してたら急に席を立った子?」
「そう」
「へえ。ちらっと見ただけだけど、可愛い子だったよね」
「ああ。可愛いよ」
「ハイハイ」
ありのままを答えてやったのに、呆れた声で返事をしやがった。

「でもなぁ。いつがいいんだろうって思うんだよ。
 彼女入社して3年目なんだけど、仕事も出来るほうだし、職場の雰囲気も合ってると思うんだ。
 けれど、俺と結婚となったら今の部署にはいられない。
 だったらもう少しこのままの関係で、今の仕事を続けさせたほうがいいのか…」
「…そんなの簡単じゃん」
「簡単?」
「結婚はお互いの気持ちとタイミングだよ。
 私なんて彼と付き合って5年以上経つけど、タイミングを逃してここまで来ちゃったんだから。
 彼女だって自分なりに決断できると思うよ。意外と寿退社に憧れてたりね、私みたいに」
「そういうもんなのか?」
「そういうもん! 頑張りなよ」
さっきまで泣いてたとは思えない顔で舞子はそう言った。


そして、百香を誰よりも幸せにしてやろうと強く思った。
変えることのできない過去も、今現在も、近い未来も、遠い未来も。

かけがえのない
世界でたった一人愛する彼女に
一生かけて愛すことを誓おう。

だから、君の未来のすべてを俺に捧げてほしい。
絶対に後悔させないから。

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2006-09-15


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