2 キス
4月。
浩ちゃん…じゃなくて…浩太から、突然おかしな告白をうけて1ヶ月。
その間4回デートした。
夜桜を見に行ったり、ショッピングに行ったり、映画観たり…。
普通の恋人同士みたいに結構まめに連絡を取り合い、会ってたりする。
浩太は優しかった。
でかける場所も私に聞きつつ、決められない私を解ってて、すべて考えてきてくれるし、
レディーファーストだし、美味しいレストランも飲み屋さんも連れて行ってくれる。
女慣れしてるなと思ったけど、私のことを一生懸命楽しませてくれてるんだなぁと思うと、
それが年上なのに可愛いかったり。
絶対モテる人なのに、なんで私を相手にするんだろう。
私って遊ぶのにちょうどいい女だった…?
*
仕事中も浩太のことを考えてしまうよ―――。
「高瀬さん、デザインファイルできてる?」
「今出力してますので、もうすぐできます」
「じゃあ、できたら営業課に持って行って。担当は安田さん、多分この時間なら社内にいると思うわ」
「はい。わかりました」
営業課の安田さん。
仕事ができて、人当たりがよくて、かっこよくて…。
女性社員が7割を占めるうちの会社で、誰もが憧れる人だった。
私もそのうちの一人だった。
私はエレベーターに乗り3階のボタンを押す。
そこは私のいる5階のフロアより、活気があって、電話の音や話し声でにぎやかだった。
安田さん…あ、いた。
「安田さん。デザインファイル持ってきました」
「ありがとう。今期の担当、高瀬さんなんだよね」
そう言って安田さんはファイルを受け取った。
パラパラとそのファイルを見ながら
「これ…すごく見やすいね。ありがとう。これからもよろしくね」
褒められちゃった。
*
それから数日後。
会社の食堂で安田さんに会った。
「あ、高瀬さん。今日は一人?よかったら一緒に食べない?」
「はい」
「安田さん。私達と一緒にランチしませんか?」
安田さんは他の女の子に声を掛けられた。
「ごめん、先約あるから」
女の子たちががっかりした様子で向こうへ行った。
「私ならよかったのに…」
「俺が一緒に食べたいの」
安田さんはそう言いながら私の前に座った。
「一人で食べるより、誰かと食べたほうがおいしくない?」
「そうですね」
「今度どこか一緒にご飯食べに行こうよ」
「ランチですか?」
「ううん。ランチじゃなくて、夕飯」
「夕…飯…?」
え…私、安田さんに誘われたの…?
「早く帰れそうな日、決まったら言うね」
安田さんはニコッと笑った。
あ、社交辞令か。そうだよね。
私はそう思っていた。
*
5月に入り、久しぶりに職場の同期4人で飲みに行くことになった。
1件目は普通の居酒屋に行き、2件目は一人の子が最近見つけた、店員さんがイケメン揃いだというバーに行った。
カウンターを横切り、奥のテーブル席に入って行こうとすると、
私はそのカウンター席の中に浩太がいることに気づいた。
そしてその横には綺麗な女の人がいた。
カウンターに座っているのはみんなカップル。
浩太もその女の人とすごく楽しそうで、お似合いの二人だった。
「ごめん!私帰るわ」
「梓!?」
私はお店を飛び出した。
あの時「私に新しい彼氏ができるまで」と約束したんだっけ。
だから「浩太に新しい彼女ができるまで」でもあるんだ――。
私と浩太は擬似恋愛や偽装恋愛みたいなものであって“本物”ではないんだよね。
家に帰って、ベッドの上でずっと泣いた。
気づいたら、朝陽でカーテンが透けていた。
*
翌日。
「高瀬さん。急で申し訳ないんだけど、今夜あいてるかな?」
廊下で安田さんにそう言われた。
「いいですよ」
「よかったー。なかなか早く帰れる日がなくてさ」
安田さんはすごく嬉しそうな顔をしてそう言った。
私もその顔を見て嬉しかった。
本当に誘ってくれるなんて思わなかったから。
仕事を終え、安田さんと食事へ行った。
「何、飲みます?」
ドリンクメニューを安田さんに差し出しながら聞いた。
「俺、ウーロン茶」
「安田さん、車でした?」
「ううん。俺、酒飲めないんだよね」
「あっ、そうなんですか」
「高瀬さんは?」
「あ…私も飲めないんで、オレンジジュースを…」
うそつき梓。
大酒呑みのくせに!
そして私達はイタリアンのコースを食べた。
は〜…。もうお腹いっぱいだよ…。
安田さん、これ食べてくれるかな…。
「高瀬さん。残さずちゃんと食べなきゃいけないよ。
出されたものは全部食べないとね。この間もお昼、残してたでしょ?」
「はい…」
結局私は無理矢理お腹に入れた。
浩太は一度に沢山食べられない私を知ってて、いつも何も言わず「ちょーだい」って私が残したの食べてくれるのになー。
そっかー。私わがままなんだよな。
浩太もそう思ってるんだろうな。
そしてお店を出た後、う〜…苦しいと心の中で叫び、公園のベンチに座った。
ふと目が合った瞬間、私は安田さんにキスをされそうになった。
――ちょっ…とっ!
とっさに下を向いて、キスをよけてしまった。
「あ…ごめん…。でも俺さ、高瀬さんのこといいなって思ってるんだよね」
「え…?」
何?告白?
私はいきなりのことで驚いてしまった。
「高瀬さんて、ぽわ〜んってしてるわりには意外にしっかりしてる所もあって、
なんか一緒にいたら楽しそうだなーって思って。
できれば俺と付き合ってほしんだけど…。あ、返事はゆっくり考えてくれればいいから」
「……」
安田さんは私が入社以来ずっと密かに憧れていた人だった。
そんな彼にキスされそうになり、告白までされてしまった。
けど、私の誰かがそれを拒んだ――。
このことは絶対浩太には言えない。
言いたくない。
*
その数日後、偶然会社帰りに浩太と会った。
会ったとき、胸がキュッと締め付けるような感じがした。
こんな風に浩太に感じるのは初めてだった。
私達は駅前の小さな洋食屋さんでご飯を食べて、浩太はうちまで送ってってくれると言った。
駅から少し歩くと住宅街に入って、道が少し狭くなる。
そして1台の車が結構なスピードでこっちに向かってきた。
「危ない」
浩太が私の手を引き、そのまま手をつないで歩いた。
「なんか心配だな。いつか車にひかれるよ」
「大丈夫だよ。子供じゃないんだし」
手をつないだのは初めてで、彼の手は大きくて優しい手だった。
そして、アパートの前に着いた。
「じゃあ、ありがとう」
「アズ…」
「え?」
浩太が私の両肩をつかみ、彼を見上げると私はそのままキスをされた。
「じゃあ、おやすみ」
浩太は私に手を軽く振り、帰って行った。
私は呆然としたまま、しばらくそこにいた…。
浩太と初めてキスをした。
家に帰って思い出す。
なんだろう…あのキス…。
あんなの初めてだった。
たぶん時間にしたら1秒くらいだったと思う。
たった1秒なのに気持ち良くて、まだ心臓がドキドキしてる。
そして私の名前を呼ぶ声。
“アズ”って呼ばれたのも初めてだったし
いまだかつて、男の人にあんな優しい声で呼ばれたことはなかった。
でも、浩太が新しい恋愛を進めようとしているのを私は知ってる。
じゃあ、なんでキスしたの――…?
もう私の頭の中はわけわからない状態になっていた。
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2006-02-24
2012-07-08 修正
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