続編03、花見 UP


 若葉がカナダに滞在中、リョウとはメールのやりとりが中心だった。 十七時間の時差はほとんど真逆の生活で、若葉がスクールへ行っている間はリョウは睡眠中、 帰って来るとリョウは仕事の時間という感じだった。
 従兄がスカイプのやり方を教えてくれて、事前にリョウから連絡があった日は 寝る前にパソコンを借りて自室に置いておくと、日本にいるリョウが寝る前に電話をかけて、 起きたての若葉が出る、それが三回ほどあった。
 最後の週は、帰りたくないけれど帰りたいという思いが募ってくる。 若葉はホームシックになってきた。スカイプでは元気な姿を見せるけれど、 メールになると素直になれるのか、“早く帰って会いたい”とついつい送ってしまい、 リョウからも同じような文面を送った。
 若葉が日本にいたとしても会えるわけではない。彼女が遠く離れた地で、 自分の知らない誰かと過ごしていると思うだけで会いたくなるのは、ただの束縛からだろうか。


 しかし若葉が帰国しても、すぐにはリョウも忙しくて会えず、彼女も疲れがたまっていて、 電話で土産話を少ししただけで、四月を迎えた。



 若葉の住む街には、日本の桜名所百選にも選ばれている公園がある。
 ようやくリョウもまともな休みがもらえ、その前日の夜、花見に行こうと若葉を誘った。
「本当にいいの?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
 若葉はしつこいくらいに聞く。卒業して、やっと“生徒”ではなくなったけれど、 それでもリョウは若葉の先生ということには変わりはない。千本以上の桜並木を見に来る人は、 母校となった高校の在校生、卒業生、その家族だっているはずだ。 若葉は卒業し、系列の大学へ進まないから何を言われても平気だけれど、リョウはずっと教員として働いていく。

 久しぶりに再会で本当は抱きつきたい気持ちでいっぱいなのに、誰かに見られたらという心配で浮かない表情の若葉。
「嫌ならやめる?」
 リョウは少し寂しげな顔をして、若葉の顔をのぞきこむ。

 バンクーバーにも桜が植えてあり、早咲きの品種は滞在中に見ることができた。 けれど日本独特の花見文化はないし、より一層ホームシックにさせ、リョウと一緒に見たかったとずっと思っていた。

 若葉は「やっぱり行く」と表情を変え、運転席に座るリョウの腕に甘えた。
「大丈夫だよ。周りは満開の桜なんだから、いちいち人の顔なんて見てないって」
「うん」
 若葉と母親が一緒に作った花見弁当を持って、桜色に染まる公園を二人で歩いた。
 桜の下は場所取りのグループでいっぱいで、少し離れた芝生にレジャーシートを敷いた。
「すごい人だなぁ」
 リョウは周りを見渡す。
「でしょ? だから本当に生徒に会うかもしれないよ?」
「会った時は会ったまでだ。さぁ、先に食っちゃおう」
 腹減った、とリョウは弁当を開けるように催促した。 鮮やかに彩られたお弁当を開けると「おお!」と歓声を上げ、それの反応だけで若葉は嬉しくなる。


 日は沈み、ライトアップされた桜が一段と美しさを増し、空の群青色と桜色のコントラストに目を奪われる。
「先生、綺麗だね」
「そうだね」
 二人のデートはいつも知っている誰かに会わないようにと、 どちらかの家か、地元から離れた場所だったので、こうして見慣れた場所で手を繋いで歩くのは初めてだった。
 若葉は幸せで、このまま時が止まればいいのにと思った。 そしたら、この桜も散らないでいられるのに。けれど、その幸せも束の間だった。

「あれ? 先生?」
 聞こえたその声に、繋いでいた手は一瞬にして切り裂かれた。
 若葉はすぐその場から離れた。リョウとは他人のフリをする。
「やっぱりリョウ先生だ。なんでいるの?」
 弁当を食べたあと、マスクをすることをすっかり忘れていた。
「お前達こそ、もう暗いんだから早く帰りなさい」
 若葉の咄嗟の判断は正しかったようで、今年三年生になる生徒たちだった。向こうも若葉のことを知っているはず。

 とにかく顔を見られないようにと、若葉は人の群れに流され、リョウと生徒から見えなくなる場所まで行かないと、と思った。
 来なければ良かった。さっきまで“時が止まればいいのに”なんて心酔して、自分が馬鹿みたいに思えた。
 早く時が過ぎればいい。 さっさと桜なんか散って、新緑の季節になって、秋になり冬になって、春が来て桜が咲いて……。 幾度季節が巡れば、大人になれるのだろう。彼の恋人に相応しい女になれるのだろう。 卒業してもこの不安は拭えない。若葉はそう思いながら歩いていた。

 バッグから携帯の振動でハッと我に返る。
「…もしもし?」
「若葉? どこにいる?」
 目印になる物を伝えると、リョウはすぐ若葉の元に駆け寄った。

「行こう」
 リョウは先程の生徒のことにはふれず、若葉の手を再び一度取った。
 しばらく無言のまま歩く。

 そしてリョウが沈黙を破るように口を開いた。
「来なきゃ良かったって思っている?」
「えっ?」
 若葉は何も答えられず、俯き黙ったまま歩いた。

「若葉、上向いて」
 何だろうとリョウを見ると、空に向かって指をさしている。 視線を追うと、ライトアップされた桜の向こうには三日月が輝いていた。
「写真みたい」
 そう呟いた若葉に、リョウはキスを一つ落とした。
 軽く、一瞬だけ触れた唇。
 それだけでリョウの優しさが若葉に伝わる。
「先生、来てよかったね」
「だろ?」
 リョウは若葉の髪をいつものように撫でた。
「堂々としていればいいんだよ。俺たちはもう何も悪いことはしていないんだ」
 リョウのその言葉に、若葉はまた一つ救われた。


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2007-03-25
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