49、保健室


 梅雨の中休みの日は蒸し暑さに加えて、太陽の日差しが痛いほど照り付ける。

 毎週水曜日の三時間目はリョウは空き時間で、若葉のクラスは体育だった。
 だからグラウンドで授業がある日は、いつもこうして教官室から眺めている。 普段自分の授業やホームルームでは見ることのできない、生徒たちの表情…… おとなしい性格の生徒が意外と活発だったり、リーダーシップを取っている姿を発見するのがとても楽しかった。

 今は体育大会が迫っているため、グラウンドではその練習をしている。 しかしこの暑さで、毎年この時期の体育大会は問題視されていた。けれど春や秋は他の行事があって、体育大会を入れる余裕がない。
 系列で隣にある大学の体育館がこの秋竣工となるので、来年度からはそこを貸し切ることになった。 次回からは空調の整った環境で快適に体育大会をすることができる。
 しかし卒業となってしまう今年三年生の生徒から大ブーイングだった。

「暑いねー」
 若葉は周りの女子数名と文句言いながら、種目の練習をしている。
(頭、痛いなぁ)
 暑さで数回倒れている若葉は自分の体が限界だと感じていた。
 そんな姿をリョウはずっと見ていた。様子がおかしいことに彼も気付き、 たぶん暑くて体調が悪いのだとわかった瞬間、若葉はその場で崩れるように倒れた。
「若葉!?」
 机の上に座っていたリョウは、とっさに机を飛び降り教官室のドアに手をかけた。
「待った。俺が行くのはだめだよな……」
 もう一度窓の方に戻り外を見ると、すぐそばで授業を受けていた男子たちも女子に混ざって、倒れた若葉を囲っていた。
 そしてクラスメイトの男子が若葉を担いだ。
 誰だろうとリョウは凝視する。
「吉田?」
 吉田はリョウと同じくらいの身長だが、体格的には柔道部の吉田の方が大きい。
 女子の体育の教師は女性なので、吉田は自ら申し出て若葉を担いだ。

 一部始終を見ていると、リョウの部屋の内線がなった。
「はい」
「もしもし、養護の高橋です。先生のクラスの早坂さんが体育の授業中に倒れまして……」
「そうですか。具合は?」
「意識もしっかりありますし、熱中症とまではいかない症状なので問題はないんですが、 私これから出張で保健室をあけてしまうんですよ。それで申し訳ないんですけど、先生今空き時間ですよね?  この時間だけ保健室に居てもらえませんか?」
「いいですよ」
 リョウは受話器を置き、急いで保健室に向かった。
 すると
「吉田くんは早く授業に戻りなさい」
「えー、いいじゃないですか」
 高橋と吉田のやりとりが廊下まで響いていた。

 リョウが「失礼します」と保健室に入ると、高橋が助けを求める。
「先生。吉田くんが早坂さんに付いているって聞かないんですよ」
「吉田、ありがとな。でも早く戻れ。授業欠席扱いにされるぞ」
「……はい」
 リョウの忠告に渋々吉田はグラウンドに戻り、高橋は「すみませんが、よろしくお願いします」と保健室の鍵をリョウに渡した。
 誰もいなくなったところで、若葉が寝ているベッドを囲んでいるカーテンをそっと開け、彼女の様子を伺った。青白い顔で眠っている。
 こうやってじっくり顔を見るのは何日ぶりだろうか、若葉の髪を撫でた。
 彼女にふれるのは久しぶりだった。それがまさかこんな場所で。そう思いながらも、若葉の頬にそっと口付けた。
「……先生、お水……もらえませんか?」
 少しかすれた声で若葉は言う。
「ちょっと待って」
 保健室に設置してあるウォーターサーバーから冷水を紙コップに注いだ。

「起きられる?」
 リョウは若葉の背中を支えるように起こすと、若葉と目が合った。
「せ、先生!?」
 朦朧としていて、リョウがいることさえも気付かなかった。
 そんな若葉にリョウは思わず笑う。
「はい、水」
「ありがとう、ございます」
 しおらしく、ちびちびと水を飲む。
「体、大丈夫?」
「はい。でもなんで先生がここに?」
「高橋先生出張で、ちょうど空き時間だったから俺が変わりに来たんだよ」
「そうなんだ。ラッキーだったね」
 若葉はリョウの白衣の袖を掴んだ。
 リョウは若葉の額に手を当てて、そのまま頬へと滑らせる。
 ここが保健室だということも忘れて、久しぶりに二人だけの時間を過ごした。
「ひどくなくてよかった。若葉がこんな時になんだけど、こういうの嬉しい」
「私も」
 微笑み合い、額同士を重ねる。
「だけど、あまり無理するなよ。大会の日は見学してもいいし」
「うん」
 リョウは愛しそうに若葉の髪を撫でた。吉田に運ばれた彼女を見てこのまま奪われてしまうのではないか、 一瞬考えたくもない想像をしてしまい、彼女に付いてあげたいと他人に言える吉田が羨ましかった。 けれど今こうして自分の腕で若葉を抱きしめていることで、妙な安堵感に包まれた。


 扉がノックされ、あわてて体を引き離し、リョウは音を立てないようにカーテンの中から出て返事をした。
「リョウ先生。あれ? 高橋先生いませんか?」
 若葉と同じクラスの男子生徒だった。
「出張でいないけど、どうした?」
「ちょっと擦りむいて……」
「消毒だけならしてあげるから座りな」
 リョウは元の先生の顔に戻り、怪我をした生徒の処置をした。


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2006-04-28、05-12
2012-07-05 大幅修正
2013-09-20 改稿







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