7 再び、雨


眠れなくて一人で夜空を見ていた。

傷つけるだけ傷つけて
そうかと思えば急に優しくしてきて
私の気持ちをかき乱す。

そこにその張本人、あっちゃんが隣に座ってきて縁側で少し話をした。
いつもと違う雰囲気に、すごく胸がドキドキして
うまく話せてるかな。
うまく笑えてるかな。
そんなことばかり気になってしまった。

昨日、家に帰りたくなくて寄り道をして、
おじいちゃんに叩かれそうになった私を、あっちゃんは かばってくれた。
あの瞬間から私の気持ちは決定的になってしまった。

初めて男の子に抱きしめられて、びっくりして思わず逃げてしまったけど
あっちゃんの優しさにすっぽり包まれた私は一晩中、
ううん…1日経った今もこうして胸の高鳴りがやまない。

しかも最後には
「俺はお前が女に生まれてきて良かったって思ってるよ」
そんなふうに言い逃げして…。


 *


翌朝。
どう接していいのかわからない私は、また あっちゃんを避けてしまった。

一緒に登校すれば、昨日みたいに皆から何か言われるかもしれない。
私のせいであっちゃんに迷惑をかけるわけにはいかない。
学校にはギリギリに着くように行った。


クラスの皆に空手のことがバレて、皆に囲まれた私が心の中で助けを求めていたのは
西田くんではなく、あっちゃんだった。
だから教室から連れ出してくれた時、すごく嬉しくて、その手を離せなかった。
私の怪我を心配してくれて、座り込んでしまった あっちゃんの手をもっと離せなくなってしまった。

けれど教室に戻り、今度は2人の関係を聞かれて
「俺はコイツの家に下宿してんの。それだけ」
と、あっちゃんがはっきり言い放った。
その言葉を聞いて
ああ、それだけなんだなって思った。
それ以上はないんだって…。
空手してることを知られてしまったことよりも、そのことの方がショックだった。

昨日あんなことがあったにも関わらず、いつもと同じように教室で話さない私とあっちゃんに
皆、何も言ってこなかった。

お昼休みはチサとマコが話を聞いてくれた。
昨日はあんな状態だったから3人でゆっくり話しができなかったし。

パンとジュースを買い、涼しい体育館裏へ行った。
そう言えば昨日の夕方のニュースで梅雨明けしたって言ってたっけ。
もう本格的な夏なんだなぁ…。

3人並び、パンをかじった。
「昨日はいろいろと大変だったね…」
最初に話を切り出したのはチサだった。

「ずっと隠しててごめんね」

私が謝ると、二人は「そんなこと気にしなくていいよ」と言ってくれた。
それから私が空手をやってる経緯とか、亡くなった両親、おじいちゃんの話をした。
二人は私に両親がいないことは知ってたけど、詳しくは話したことがなかった。
その後にあっちゃんがうちに来てからあったことも全部話した。

「それでね、私、西田くんのことはもういいの。
 なんか自分がよく解らないんだよね。ずっと好きだって思ってたのに…。
 いつの間にかあっちゃん…あ、藤井くんね。…彼のことばかり考えてる自分がいて。
 昨日も空手してることがバレた時より“下宿してるだけ”
 って言わたことがショックだったんだ。
 こんな風に思うのは今だけなのかな。私って気が変わりやすいのかな…」

「そんな風に思わないよ」
マコに続いてチサも言う。
「うん。人を好きになるタイミングなんていつ起こるかわからない。
 気が変わりやすいなんて思わないよ」
「それにあんな中で、ほのかを助けてくれたのは、ただの下宿人だけだからじゃないと思うよね」
「うん」

チサとマコの言葉で、心に引っかかっていたものが外れたような気がした。

素直になってみようかな。
あっちゃんの優しさを疑わずに受け止めてもいいかな。



教室へ戻ると、同じクラスの美咲ちゃんに声をかけられた。
「ほのちゃん、ちょっといい?」
「うん」

彼女は美咲という名前がよく似合う綺麗な子で、色白で華奢で
男子には「守ってあげたい女の子」と言われ、クラスメイトだけではなく学年の中でも人気があり
私も密かに、美咲ちゃんみたいになりたいと憧れを少し抱いていた。
もっとも空手をやっていることをバレてしまった今では、彼女のように思われることは100%無理な話だけど。

そんな彼女が私に何の用だろう。
教室から少し離れ、人通りの少ない廊下まで行った。

「あのね、昨日のことなんだけど、ほのちゃんは藤井くんとは本当に何にもないの?」
「え…」

いきなり、あっちゃんのコトが出るとは思ってもいなかった。

「うん…ないよ…。どうして?」
「お願い! ほのちゃん! 協力してくれないかなぁ」
「な…何を?」
そう聞いておいて胸の内で嫌な予感がよぎった。

「明後日の終業式の日、一緒に帰りたいって藤井くんに伝えてほしいの。
 もし二人の関係に何もないならお願いしてもいいよね…」

やっぱり…。
ソレ系統の話だと思った。

――そんなこと自分で言いなよ。
と言いたいのに、この可愛い顔で頼まれてしまうと女の私でも断れなくなるから不思議だ。
実は二重人格という噂も全くない。
これが彼女そのままの姿だから、どこまでも羨ましい。

「うん…わかった」
「ありがと」

満面の笑顔で私にそう言った。
授業中、ずっと美咲ちゃんとあっちゃんのことを考えていた。
一人で帰る電車の中でも、稽古中も、夕飯中も、お風呂の中でも…。
いっぱい、いっぱい考えた。

そして考え抜き
お風呂から出て、あっちゃんの部屋のドアをノックした。

「何?」
「あのね、うちのクラスのね、美咲ちゃんって子わかる?」
「ミサキチャン…? 誰?」
「ほら一番前の窓際の席で可愛い…」
「ああ」

そんな説明でわかってしまうことが悲しい。

「彼女がね、終業式の日、あっちゃんと一緒に帰りたいんだって」
「なんでお前がそんなこと俺に言うの?」

キッと睨まれてしまった。

「本人に頼まれちゃったから…」
「頼まれたからって、そう言うこと軽く引き受けるんだ」
「え…?」
「いいよ。わかった」

そう言ってドアを閉めようとした。

「待って。一緒に帰るの?」
「さあね。これ以上はお前に関係ないでしょ。これから先は俺とミサキチャンの問題」

バタン。
とドアを閉められてしまった。

やっぱりね。
あっちゃんは私とのことを「ただの下宿人とそこのウチの子」としか思ってないんだよ。
少しでもそれ以上に想ってたら「断って」って言ってくれるはずだもん。

美咲ちゃんの協力をしたのは、美咲ちゃんが可愛くて断れなかっただけじゃない。
断ればきっと皆から嫌われると思ったから。
空手のことで色々言われて、これ以上クラスの皆から標的にされたくなかった。
こういうのを偽善者って言うんだ…。


この時の私は、あっちゃんが私のことをどう思ってるかなんて、
私の気持ちをあっちゃんがどこまでわかってるかなんて知る由もなかった。
本当は一番大事な人のことを考えないといけなかったのに…。


 *


終業式。
通知表をもらうことよりも、あっちゃんと美咲ちゃんがこのあと一緒に帰ることの方が憂鬱だった。
終業式が終わり、体育館を出ると雨が降っていた。

天気予報のバカ。
傘持ってきてないよ。
明日から夏休みなんだから置き傘もしてないよ…。

HRが終わって、しばらく何人か教室に残っていた。
もしかしたら雨が弱まるかもしれないからって。
でも一向に雨が弱まる気配はなかった。
そろそろ帰らないとおじいちゃんに叱られてしまう。

「…私、帰るね」
「じゃあ、私達も帰る」
チサとマコは自転車通学だから、下駄箱で別れた。
「夏休み中、もし遊べたら遊ぼうね」って。

気を遣われちゃったなぁ…。
さて、駅まで走るか。

水たまりを蹴り上げながら走ってると
「あ…」
あっちゃんが校門の所で傘をさして立っていた。
「おっせーな」
「…なんで?」
「お前、傘持ってなかっただろ? アイツ傘持ってるって言うから」
そう言って私に傘を傾けてくれた。

話がイマイチつかめなかった。
それにそのビニール傘…。

「さっきコンビニで買ってきた」

コンビニに行って、学校まで戻ってきて私を待っててくれたんだ。
嬉しくて、泣けてきそうだった。
ねぇ、素直になってもいいかな…。

「ありがとう。一緒に帰ろう」

そう言えば美咲ちゃんとはどうなったのかな。
気になるけど聞けなかった。
もし聞いてしまったら
この前のように気まずくなるかもしれない。
今はこのまま肩を並べて歩きたかった。

会話はなかったけど、この距離がとても愛しかった。


駅に着くと、あっちゃんの肩が私の肩よりも濡れていたことに気づいて
ハンカチで彼の肩を拭いた。

「なぁ、聞けよ」
あっちゃんは私の手を掴み、強い眼差しで私のことを見てきた。
「なっ…何を?」
「“もし雨が降らなかったら、ミサキチャンと帰ってた?”って」
「え?」

それは私が聞きたかったことだった。
黙ってる私に
「聞けって」
あっちゃんは強く言った。
だからそのとおりに恐る恐る聞いた。
「もし…雨が降らなかったら、美咲ちゃんと帰ってた?」
「帰らなかったよ。こうなる運命だったから――」

ブラウンのその瞳に引き込まれてしまった私は
そのままキスをされた。
一瞬何が起こったのか、把握できなかった。
唇に残っている感触でキスされたことに実感する。
ファーストキスだ…。
思わず立ち尽くしてしまった。

「もう、あーゆーコト引き受けるなよ。俺のことどうでもいいのかって思うだろ?」

“どうでもいいのか”って…。
え…?

「体育館裏で言ってたことウソなのかよ?」
「えっ? どういうこと? 聞いてたの!?」
「たまたまだよ。なんか1年生の女に連れて行かれて…」
「連れて行かれてって? もしかして告白!?」
「まぁ、そんなトコ。心配するな。断ったから。ミサキチャンにもな」

平然とそういうことを言ったけど「心配するな」ってどういうこと?
体育館裏って、私どこまでチサとマコに自分の気持ち話してたっけ…。

で、このキスの意味はなんなの?
ちゃんとハッキリ言ってくれなきゃ、わかんないよー!


私の頭はパニック状態だっていうのに、いつもと変わらない涼しい眼差しで
外を眺めながら電車に乗るあっちゃんが少し恨めしかった。

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2006-06-25



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