5 雨


あっちゃんが我が家にやってきて1ヶ月半。
今のところ私の秘密を守ってくれている。
でも実際は守ってくれていると言うより、いつバラしてやろうかと楽しみにしているのかもしれない。

2日目の夜、私にCDを「今度貸してやる」って言ってくれた時すごく嬉しくて。
それなのに、次の日から何故かあまり話をしてくれなくなった。
電車の中で毎朝欠かさず私の後ろに立って側にいてくれる、そんな彼の優しさが痛い。

だから夜眠る時、隣の部屋で眠るあっちゃんとの間にある壁にそっと手を当て
いつか、二人を隔てる壁がなくなるといいな…と願った。



そんな中、学校では西田くんたちのグループと私たちのグループは6人でよく話すようになった。

男の子のうちの一人が「今日の帰り、みんなで遊ぼう」と言い出し、
もちろん私はその話を断らないといけなかった。
すると西田くんもバイトがあるから遊べないと言い
「だったら、ほのかと西田くんは駅まで一緒に帰れば?」とみんなから言われてしまった。

やだな。
こんな所、あっちゃんに聞かれたら…。

周りからの押しに恥ずかしさや嬉しさよりも、なぜかあっちゃんのことが気になってしまった。
見られてないかな。
教室を見渡すと、あっちゃんはいなかった。
よかったー…。

胸を撫で下ろしてると、西田くんが私に言った。
「いいよ。一緒に帰ろうか」
「え…?」

その瞬間、西田くんの後ろの開いた扉にあっちゃんがいた。

聞かれた?
聞かれたよね…。

一瞬目が合ったけど、すぐ逸らされてしまい、私の横を無視して通りすぎていった。
女の子に声をかけられている、あっちゃんを遠くから見つめていた。


その日の帰り。
朝は晴れていたというのに午後から真っ黒な雲が広がり、雨が降り出した。

私はロッカーに入れてあった折り畳み傘があるけど、あっちゃんは朝持って出なかったよね…。

SHRが終わると
みんな「傘持ってきた?」「持ってない」という話で持ちきりだった。


「水野さん、傘持ってる?」
「うん…」
「俺も。この間持って帰るの忘れたままだったんだ」

にっこり微笑む西田くんの向こうで、あっちゃんは何人かの子に囲まれていた。

「傘持ってないなら一緒に帰ろうよ」

あっちゃん…。
どの子と帰るのかな…。
目の前にいる西田くんのことは忘れて、あっちゃんの方に目が行ってしまった。

「別にいらない。二人で傘さしたってどうせ濡れるだけだし」

あっちゃんは女の子達にそう断ると教室から出ていった。

「水野さん、帰ろうか」
西田くんに肩をポンと叩かれ、今の状況に気づいた。

「西田くん、ごめんね。私急いで帰らないといけなくなっちゃった」
「え?」

教室を飛び出し、私はあっちゃんを追いかけた。
あっちゃんの背中を見つけたのは校門を出てからだった。

「あっちゃん!」

私の声にあっちゃんは振り返った。
どしゃぶりの雨で、もう遅かったけど傘を伸ばして差し出した。

「一緒に帰ろう」
そう言った私に
「お前、西田と帰る約束してなかった?」
冷たい声で傘を私の方へ押し返してきた。

「やっぱり…聞こえてたんだ。
 でもね断ってきたの。西田くん、傘持ってるって言ってたし…」

私が話してるのに、あっちゃんは走り出してしまった。

「待って! 風邪引いちゃうよ」

必死で追いかけた。
走るから傘は全く役に立たなくて、制服はビタビタ。
あっという間にできた水溜りのせいで足元もかなり水浸しになってしまった。

「待ってよ! せっかく傘入れてあげようと思ったのに…」

ようやく追いついたのは駅に着いてからで、バッグの中のタオルを急いで渡した。

「せっかく? あげようと思った?
 それはどうもわざわざありがとう――…なんて言うと思う?
 ふざけるなよ。そういうのウザイ」

え……。

「お前の好きなやつって西田なんだろ。
 本当の姿を隠してまで、好きになってもらおうなんて思ってるんじゃねーだろうな。
 アイツ本当のこと知ったら幻滅するだろーな。
 なぁ、俺が代わりに言ってやろうか? それで、さっさと振られろよ」

何で…?
本気で言ってんの…?
こんなに冷たい人だったの…?

あっちゃんは目の前に停車した電車に乗り込んだ。
私は乗ることができなかった。

その次の電車も、そのまた次の電車にも。



あっちゃんと出会う前までは、西田くんのことで頭がいっぱいだった。
今日はこんなこと話しちゃったとか、明日は話かけてもらえるかなとか。
毎日学校に行くことが楽しくて仕方がなかった。

なのにここ最近、私の中であっちゃんの存在がどんどん大きくなっている。
ちょっとした一言に傷ついたり、ちょっとの優しさがすっごく嬉しかったり。
彼の一つ一つの言動が、どうして私の心をこんなに苦しめるんだろう。
あっちゃんのことを考えると胸がチクチク痛い。



私は無意識のうちに電車に乗っていた。
でも帰りたくなくて、いつも降りる駅の1つ前の駅で降りた。

少し歩き、大きなショッピングセンターに入った。
フラフラと買物をするわけでもなく歩き続けた。
こんな日に限ってバッグの中に辞書が2冊も入ってる。
なんか疲れちゃったな。
ちょっと休もう。
私は店内のベンチに腰を下ろした。
雨で濡れた制服はだいぶ乾いていた。
けれど足元の気持ち悪さはまだ残ってる。
早く家に帰って、お風呂に入って着替えたい。
あ、でもその前におじいちゃん叱られないといけない。
あっちゃんの顔も見てしまうかな…。
ウザイって言われちゃったし。

あの家には帰りたくないな。

 *

小さい頃から自分の家には独特の雰囲気があることを感じていた。
友達の家にはない、張りつめた空気。
もう17年もここで住んでるから当たり前になっていることなんだけど
時々息が詰まりそうになる。
初めてそう思ったのは小学校6年生の時だった。

学校の男の子からからかわれ、空手が大嫌いになっていた。
おじいちゃんは、全くやる気を見せない私を引っ叩いた。

初めて叩かれて、すぐ家を飛び出し、隣に住むお母さんの従姉(おばさん)の家に駆け込んだ。
おばさんはいつも私の相談相手になってくれていた。

そして、おばさんから聞かされた。


おじいちゃんは私が生まれる前から厳しかったらしく
一人娘である私のお母さんを、私と同じように厳しく育ててきた。
おばあちゃんは体が弱く、お母さんが中学に入学してすぐ亡くなり
お母さんの味方はいなくなった。

お母さんは高校2年生の時、試合で鼻の骨を折る大怪我をした。
怪我は治っても心の傷はなかなか治らなかった。
それをずっと支えてきたのは道場に通っていたお父さんだった。
二人はいつの間にか恋に落ちた。

私を身ごもったお母さんは、お父さんと家を出ようとしたけれど
お父さんはそれに同意せず、道場の跡継ぎになると言い、
お父さんのことを以前から認めていたおじいちゃんは二人の結婚を承諾をした。

数ヵ月後、私が生まれ、お母さんとお父さんは「女の子だー!」と、それはすごく喜んだそう。
お母さんは、とびっきり可愛い名前を付けたいと言い“ほのか”と名付けた。
女の子だから可愛い服を着せて、
3歳の誕生日にはピアノを買ってあげて、習わせるんだとおばさんに話してたらしい。

そして運命だったとしか言いようがない事故は、私が3歳になる少し前に起こった。
その日は二人の記念日で、私をおばさんに預け、お父さんとお母さんはレストランに行った。
帰りの車。
居眠り運転の大型ダンプカーがセンターラインをはみ出して、二人が乗った車に正面衝突した。
お母さんが抱いていた、娘…私への願いは叶えられることはなかった。

もしあの道を通らなければ、あのお店に行かなければ……。
今でもこの話をする時、おばさんは涙を流す。
私は泣いているおばさんを慰める。

おばさんは、一人残った私を引き取りたいと言ってくれたそうだけど
おじいちゃんは自分が育てると言い切った。
両親を亡くしたことを悲しませないように、精神的に強い子に育てようと空手を教え込ませ、
両親がいないからと、いじめられないように、空手を身に付けさせた。

亡くなったお母さんは当時女の人では珍しいほど、素質があったそうで
お母さんと私を思い重ねては、厳しい稽古をさせた。

その話を聞いた日、初めて気づいてしまった。
私よりも、おばあちゃん・お母さん・お父さんに先立たれたおじいちゃんが一番つらいという事を…。


それからおばさんに連れられ家に戻り、おじいちゃんに謝った。
そして、周りにどんなことを言われようが、空手を必死に頑張ってきた。
昇格するたびにおじいちゃんは褒めてくれる。
そんな期待に応え、おじいちゃんの悲しみを少しでも消してあげようと誓った。

 *

だから帰るしかないんだ。

お店を出て、電車に乗らず歩いて家まで向かった。


まさか、このあと自分が事件に巻き込まれるなんて、この時は思ってもいなかった――。

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2006-06-10



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