03、屋上


 若葉は担任リョウのことが苦手だった。
 整った顔立ちで、背が高く手足も長い、いわゆる“イケメン”だ。 けれど教師という職業のおかげでかなり損をしていると思っていた。若葉にとってはなぜか怖く感じるのだ。
 リョウの奥二重で切れ長の瞳は、冷たい印象をも与える。 それがクールで格好良いと、やたら甘い声で「リョウ先生」と絡んでいる女子も少なくはない。
 そんな女子の気持ちが今は少し解る気がする。 若葉はあの日、リョウが意外過ぎて驚いた。こんな優しい面もあるんだ、と。

 愛果は以前、若葉に「リョウ先生は、学校と学校の外じゃ全然別人だよ」と話した。
 愛果と椎名が付き合っていることを知っているのは若葉とリョウだけ。 リョウと椎名は大学時代から仲が良いことは校内では有名な話で、愛果はリョウとも校外で何度か会ったことがあるらしい。
 若葉は学校を出たリョウをいつか見てみたい。そんな興味みたいなものが湧き始めていた。


 リョウの授業は解りやすいと評判だった。一部の職種を除いて、 将来全く役に立つことのなさそうな化学なんてどうでもいいと思われがちな教科だが、 リョウは教科書には載っていない話をたくさん聞かせ、メリハリのある授業を生徒たちは楽しみながら受けている。
 彼の授業を習う生徒は大抵成績が上がるのだ。


     * * *


 放課後、若葉は隣のクラスの男子に呼び出されて、校舎の屋上に行った。
「若葉ちゃん、あの先輩と別れたんだよな? もしよかったら俺と付き合ってくれない?」
 突然の告白である。きっとここまでの道のりは本当に勇気のいることで、 自分のことをそう想ってくれていたのは嬉しかった。でも若葉は彼の気持ちには応えることはできない。
「ありがとう。だけどごめんね……」
 彼は「そっか、だよな。いきなりでごめん」と、少し悲しそうな表情を浮かべ、屋上の出入り口から出て行った。

 一人になり、フェンス越しに遠くの空をぼうっと眺めていた。灰色の雲が空を覆い、 今にも雨が降り出しそうだ。梅雨のじめじめとした空気が彼女の身体にまとわりつく。

 すると誰かが屋上に来たのに気付いた。若葉は理由もなく隠れて、 こっそりそれが誰かを見てみると一年生の女子一人と、リョウだった。

「リョウ先生、あのっ……好きです……」
 黒髪を二つに結んだ、まだ幼さの残る女子がリョウを見上げ、告白をした。 一生懸命に頬を赤らめ、短い告白が終わるとすぐに俯いた。
 若葉はリョウがどう答えるのか、食い入るように見つめる。

「ごめんな。俺、生徒と付き合う気ないからさ。学生は学生同士で付き合った方が楽しいよ。 俺のことはさっさとやめて、次いけ……なっ」
 リョウは顔色一つ変えずにそう諭す。
 その口調は何度も答えているようにも見えた。
 若葉は鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
 “生徒と付き合う気ない”
 リョウの言葉が頭の中をグルグル回る。
(なんで、私はこんなにショックを受けるの? 先生はあの子に言っているのに……)

 リョウに告白をした女子はその場を後にした。
 きっと泣いていたのだろう。ハンカチを手にしていたのを若葉は見逃さなかった。
 現在、屋上にいるのは若葉とリョウだけ。
 リョウの姿を障害物の影から見ていると、彼は「は〜」と大きなため息を吐いてその場に座った。

 リョウは毎回こうして呼ばれる度に頭が痛くなる。
 勇気を出して告白してくれるのは解るが、なるべくその生徒を傷付けないように断るのはすごく神経を使う。


 若葉はリョウに見つからないように、屋上から出ることにした。それなのに――。
「ひゃっ……」
 屋上の地面にある点検用の鉄製の取っ手につまずき、若葉は転んでしまったのだ。
 リョウが若葉のいる方に向かってくる。若葉は必死で隠れようと身を伏せるけれど無理な話だ。
「早坂か? 何やってんの?」
 呆れ顔で若葉を見る。
「べっ、別に……何でもないです」
「早く帰れよ」
「ハイ……」
 リョウは言葉少なげに言い残し、屋上を後にした。



 その日の夜。若葉はリョウにもらったタオルを抱きしめていた。
「私、先生のことが好きなのかもしれない。ううん、好きなんだ。 ああ、なんで自分の心の奥にあった気持ちに気付いてしまったんだろう。絶対に叶わない人を好きになっちゃうなんて」
 溢れる涙をタオルで押さえ、ベッドの上で一人そう呟いた。


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2006-02-08
2012-07-05 大幅修正
2013-09-20 改稿







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