5 帰りたくない


高倉さんとキスをした日からどれだけたったのだろう。
私たちは時々、仕事が早く終わった日は一緒に食事をし
そして家まで送ってもらうというデートのようなものを繰り返した。

“私と一緒に幸せになってくれませんか?”
自分でも信じられないくらい一世一代の告白をしたものの
「好き」とか「付き合おう」とか、二人の間にそういう言葉はない。
キスもあの時の一度のみだ。
高倉さんは私のことをどう思っているのかよくわからなかった。

 *

「『帰りたくない』って言ってみれば?」
「えっ!?」
休みの日、妹の佑莉が「カーテンを替えたいから付き合って」と頼まれてインテリアショップに来ていた。
佑莉の大胆な言葉に、誰かに聞かれていなかったか周りを確認する。
「いきなり、そんなこと言えるわけないじゃない」
「冗談だよ」
「もうっ」
佑莉はからかうように笑う。

あんな告白しておいて、今さら『付き合って下さい』なんて言えない。
きっと高倉さんは、どうやって答えていいか分からなかったから何も言わないんだ。
だから私からは、もう何も言えない。
 
 *

「ごちそうさまでした」
“今日は私が…”なんて言っても、いつものように高倉さんは“いいよ”とご馳走をしてくれて車に乗り込む。

「あれ…?」
シートベルトがカチッと締まらなくて、何度か差し込んでみる。
高倉さんはそんな私に気づいて覗き込んだ。
「マフラーが引っかかってるよ」
バッグから飛び出したマフラーを私の方へ渡してくれた。

あ…。
近い…。

そう思った瞬間。
またあの日のように、唇が自然と重なった。
ふんわりと重なるだけのキスした後、唇は一旦離れ、再びキスを何度も交わし、舌が絡む。
私は彼のすべてを受け入れるように腕を回し、強く抱きしめた。
けれど高倉さんは私の体を引き離し、子供をなだめるように頬を撫で
「送るよ」
とシートベルトを締めようとした。
その瞬間、彼の手を思わず止めてしまった。

「帰りたくない――…って言ったら迷惑…ですよね…」
そう言ったあとすぐに、言わなきゃよかったと後悔する。
佑莉の冗談だった言葉を、まさか言ってしまうなんて…。
「ごめんなさい」と私も今度はスムーズにシートベルトを締めた。

高倉さんは何も言わないまま、車をゆっくりと発進させ
そんな姿を横目に、一方の私はすごく気まずかった。

すると
「うち来る?」
高倉さんは、思ってもいなかったことを言った。
囁くようなその声にキュンとなりながら、黙ったまま頷いた。

車はすぐの交差点で左折し、徐々に加速する。
静かな車内。タイヤの音だけが耳に響く。
さっき「帰りたくない」と言ってしまった自分の発言を思い出し、ますます緊張してきた。

「家は大丈夫なの?」
「あ…、そうですね。連絡しておきます」

なんだか冷静な高倉さんに、一人でドキドキしてる自分が恥ずかしくなってきた。
とりあえず、家に電話をするのはどうかと思ったので、妹のみくに
「今日は友達の家に泊まるから、お母さんに伝えておいて」とメールを送った。

しばらくすると大通りから住宅街に入り、マンションの駐車場で停まった。
車を降りて、足早に歩く彼の背中を、小走りで追いかけた。
エレベーターには乗らず階段で2階まで上がり、3軒目の玄関ドアを開けた。

いつものくせで、玄関先でコートを脱いで裏返しにしていると
「かしこまらなくていいよ。まだ部屋の中は寒いし」
高倉さんが私の肩を引き寄せた勢いで、玄関を一歩上がり抱きついてしまった。

脱ぎ捨てたパンプスは転がり、手にしていたコートとバッグが床に落ちて音を立てる。

「高倉さんは、私とこうしていてドキドキしますか?」
「え?」
「高倉さんは、あの日から何も変わらなくて、淡々としているっていうか、冷静というか…。
 仕事の時も二人でいる時も変わらないような…」

目の前にあるネクタイの柄を見ながら言うと、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。

「これでも精一杯、自分の気持ちを落ち着かせてるんだよ。
 こんなに誰かを愛おしいと思うことは初めてで、大人らしく落ち着いて振舞わないとって必死で
 正直今日だって、ここまで連れて来るのは予想外で、どうしたらいいのか困惑してる」
優しい瞳で笑い、「どうしたらいい?」と私を見つめた。

「意外とイジワルなんですね」
俯きそう言うと、スッと手を引かれるまま廊下横の部屋に入った。
彼が照明のスイッチを押すと壁の間接照明が薄っすらと灯り、ここが寝室なんだと理解した。

ベッド脇で抱きしめられながら「好きだよ」と耳元で云われて、このまま立っていられなくなりそうになる。
それでも私はもっとこの人に溺れてしまいたい。
だから…
「依吹って呼んで…」
背伸びをし、大好きな人の首に腕を巻つける。
そして
「依吹――…」
初めて彼の唇から名前が囁かれた瞬間、私は高倉さんとつくる“幸せのカタチ”が見えた。

Fin...


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2007-02-09


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