2 プライベートなこと
「橋本さーん。私、先が思いやられます」
入院する橋本さんをお見舞いに来たつもりが、つい愚痴になってしまっていた。
「ホントごめんね。ギリギリまで働くつもりだったんだけど…」
ベッドで横になったまま、申し訳なさそうに橋本さんが言う。
「いえ、それはいいんです。橋本さんの体とお腹の赤ちゃんの方が大事ですし…。
問題は高倉さんです。私、あの人苦手なんですよね。何考えてるか解らないって言うか」
思わず深くため息をついてしまった。
「大丈夫よ。アレは慣れ。あの性格に慣れちゃえばどうってことはないよ。
ああ見えて意外と仕事の面では解らない所をしっかり教えてくれるし、的確な指示出してくれるし」
「そうなんですか…」
なんか想像できないな。
今までに一緒に仕事をすると言えば会議ぐらいしかなかったし…。
橋本さんにお見舞いにとブランケットを渡して、病院を後にした。
それから数日後、高倉さんと一緒の仕事が始まった。
新規のお客様は、まだ営業の人と高倉さんの二人だけで打ち合わせの段階なので、
仕事の内容は1ヶ月点検や半年点検くらいだった。
点検は工事担当者も同行するので、二人きりというのはなかった。
高倉さんの設計した家は何件か見たことはあったけれど、実際にお客様が住んでいるのを見るのは初めてで
改めて高倉さんの設計はすごいと思った。
高倉さんが、ここに住む家族のことを自分の家族のように考えて設計したんだなって実感した。
契約が取れると、私と高倉さんの仕事が始まる。
あれだけ冷たい人・苦手な人と決め付けていた高倉さんとの仕事は、思ってもいないほど楽しかった。
橋本さんの言う通り、わからない所は丁寧に教えてくれた。
そればかりか、高倉さんと打ち合わせをしていると、不思議なことに次々とアイデアが沸いてきて
お客様もそれを「こうしたかったんです」と喜んでくれた。
あの冷たい瞳の持ち主から、こんなに温かい家ができるなんて、誰も想像つかないだろう。
お客様の前ではあんなに優しいオーラを醸し出しているくせに、普段は絶対に仕事以外のことを口にしない。
けれどその唯一の仕事の話を聞いていると、本当はこの人は家と同じで温かい人なのかもしれない、そう思った。
*
そして
「桐原さんって4人兄弟なんだよね?」
高倉さんのこの言葉が、思いがけない展開になるのだった。
「はい、4人兄弟ですけど…」
「あ…、いや…、うん。なんでもない」
なんでもないって。
気になるじゃん。
「4人兄弟が、どうかしたんですか?」
「すまない。プライベートなことを聞いてしまって…。なんでもないから、気にしないで」
プライベートなことって…。
別に家族のことを隠したいと思ったことはないし、会社で私が4人兄弟って言うのは結構知られている。
だから聞かれても困ることはないんだけどな。
「気になります。何ですか?」
「…実は今度プランを出すご家族のお子様が4人兄弟でね。僕は2人兄弟だったから、どんな感じかなと思って」
なんだ。そんなことで躊躇してたの?
フッと思わず笑みがこぼれてしまった。
「見に来ます?うち」
「え?」
「今は妹が一人暮らししてるので5人で暮らしてますが、実際に見ると参考になるかも知れないですよ」
この時は少しでも役に立てばいいなと思っただけで、深い意味はなく
自分の気持ちの変化にも全く気づいていなかった。
*
「ここです」
仕事を終え、私は高倉さんの車で自宅へ帰った。
一応母親には昼休みに電話をして
「会社の人を連れて行くから、家の中の片付けと夕飯多く用意して」と頼んでおいた。
「6人家族だけあって、大きな家だね」
車を出て、高倉さんは我が家を見上げた。
「延べ床面積は結構広いとは思うんですけど、部屋数が少ないんですよ。
中を見ていただけると判ると思うので、どうぞ入ってください」
玄関を開け「ただいま」と入ると、なぜか母がびっくりした顔で出迎えた。
「えっ!? あら…。どうもこんばんは。狭い家ですが、どうぞお上がりください」
母はそう言い残し、リビングの方へ早歩きで向かい
今度は弟と妹がこっちを覗く。
「大変! 依吹姉が男を連れて来た!!」
はー?
母はどこかに電話をしていて
父は弟の失礼な発言に「すみません」と謝る。
リビングの大きな座卓には土鍋が用意されていて、家族一同をそれを囲むように正座をした。
「今日は突然申し訳ありません」
ただならぬ家族の雰囲気に、高倉さんも頭を下げる。
「いえいえ、とんでもありません」
うちの両親も頭を下げる。
異様な空気の中、私は口を開いた。
「あっ、あのさ、みんな勘違いしてない?」
高倉さんがここに来た経緯を話すと、家族一同思いっきり気抜けしたようだった。
「そうならそうって言ってよね。緊張しちゃったじゃない」
母は笑いながら、でも本当はがっかりしたんだろう…、すっと立ち上がって台所で鍋の準備の続きを始めた。
「ご飯の前に見ます?」
「そうだね」
私たちはリビングを出て、1階の水周りと2階の個室を案内した。
「そういえば、お客様の所も男の子1人であとは女の子3人なんですよね。
うちはさっきの弟が大学生で、一番下が高校生。一人暮らしをしている妹が、私の一つ下の25歳です」
「25歳…」
高倉さんは、なぜか“25歳”という言葉を呟き、しばらくボーっとしていた。
「高倉さん?」
「あ…、ごめん」
「朝なんて、それはもう戦争のようですよ。だから洗面台は造作にして、洗面ボウルは2つ欲しいですね。
できれば2階にも小さくていいので洗面台があったら嬉しいな」
思わず我が家をリフォームする気になってしまった。
きっと高倉さんが造る6人家族の家は素敵なんだろうなと想像をした。
それからリビングに戻り、みんなで寄せ鍋を食べていると
玄関がガチャッと開き、ダダダダと廊下を走っている足音が聞こえたかと思ったら
リビングのドアから「ただいま」と息を切らした妹の佑莉が入ってきた。
「どうしたの?」
「お姉ちゃんが彼氏連れてきたってお母さんから電話があって…」
さっき母が電話していたのは佑莉だったようだ。
「あのね、佑莉…」
高倉さんがここに来ている説明をしようとすると、佑莉は高倉さんの前に座り
「姉のこと、どうかお願いしますね。幸せにしてあげてください」
すっかり勘違いした妹は、高倉さんの手を握っていた。
「佑莉…」
そう言いかけた時
「君が二番目の子?」
高倉さんが佑莉に聞く。
「はい…」
「そう。佑莉ちゃんって言うのか…。佑莉ちゃん、あのね、今日お邪魔させていただいたのは
仕事で6人家族の桐原さんのお宅を見せてほしかったからなんだよ。
誤解させてしまってごめんね」
「そうなんですか? ごめんなさい。私てっきり…」
真っ赤な顔をした佑莉は「そうなの?」と私に確認をしてきた。
私はただ「うん」としか頷くことができなかった。
母が高倉さんに謝っている間、私は佑莉が食べるための器や箸を用意するために台所へ行った。
なんだろう。この気持ち。
高倉さんが佑莉に優しく話す姿を見て、胸がざわつくって言うか…。
私だって、あんな風に話してもらったことないのに。
それから佑莉と高倉さんは楽しく話しをしていて、私はそんな二人の姿を見ることができなかった。
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2007-01-31
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