5 轍 〜ワダチ


《大雅サイド》

それからは二人で床に座ってビールを飲みながら話をした。
キッチンカウンターには空になった缶がどんどん増えていき、いつの間にか、時計の針は1時をさしていた。

「は〜。眠くなってきちゃった」
会社では見せない、和らいだ百香の姿に思わず顔が緩んでしまう。

彼女が先にシャワーを浴び、そして一緒に寝た。

キス以上のことはしなかった。
したくなかったのかと聞かれれば、確かにしたかった。
そりゃあ男だし、3年も彼女はいないワケだし…。
だけど今夜は、ただこのまま抱きしめていてあげたかった。

「おやすみ」
俺がそう言うと百香は「おやすみなさい」とすぐ眠りについた。


隣でぐっすり眠る百香を見て、初めて百香と出会った日までのことを振り返ってみた。

 *

3年前、上司から突然、海外赴任の辞令を出された。
当時25歳。
同じ年の彼女と付き合っていた。
彼女とはこのまま付き合えば、いずれ結婚するのかなーと思っていたから
俺は「一緒に行く?」と聞いた。
「考えさせて」と彼女は言い、約一週間二人で話し合った結果
彼女は
「やっぱり行けない。そんな日本語も通じない、ましてや英語も通じるかわからない土地には行きたくない」
と答えた。
「だからと言って3年も待てないよ」と彼女は別れの道を選んだ。
たぶん彼女の中で、俺とのことが冷めていたんだと思う。


それから一人になり、初めての国、新しい職場でがむしゃらに働いた。
休みの日は、どこに出かけるでもなく、会社から与えられたマンションで
日本から送られてくるDVDや雑誌を(本社の誰かがいつも送ってくれたので)見ては、独りの時間を過ごした。
今思えばあれは一種のホームシックだったのかもしれない。
同僚たちからのメールで近況を聞かされ、一方で俺は何を糧に生きているんだろうって――。
でも不思議だけど別れた彼女のことはあまり思い出さなかった。


ちょうど赴任して2年が経つ頃。
後輩の西村から結婚式の招待状が送られた。
西村とは日本にいた頃、よく二人で飲みに行ったし、彼女とも何度かあったから彼らの結婚式に参加した。

2年半ぶりの帰国で、本社のスタッフたちと再会し、お互い懐かしんだ。
そんな中、二次会で初めて見る顔があった。
ちょうど近くに回ってきた西村に聞いてみた。
「あの子、誰?」
「今年うちの課に入った吉野です」
「そう」

すると西村は俺の所へその子を連れて来た。
「はじめまして。吉野です」
「結城です。もしかして時々電話に出る子…だよね」
「はい」

彼女の声を聞いて気づいた。
本社に電話する時に、時々聞いた声の主だった。

「結城さんは、4月には上海支店から戻ってくるんだよ。その時には主任としてね」
西村が彼女に説明をした。

「本社でお会いできるのを楽しみに待ってます」
にこっと微笑む彼女を見て、一瞬で「この子だ」と思った。
社交辞令の作り笑顔だったかもしれないのに。

今まで俺は、男が一目ぼれとか、一瞬で恋に落ちるとか、そんなのは現実の世界ではありえない話だと思っていた。
けれどそういうことが自分の中で起こってしまったんだ。

最初は、今自分が置かれている状況から、彼女への感情は何かの錯覚だろうと思っていた。
でも違った。
彼女がいる本社に早く帰りたいと、その日から毎日思った。
本社に電話をする3度のうち1度くらいの確率で、彼女が出る。
そんな小さな楽しみを支えにして。


それから半年。
ようやく日本に戻ることができた。

4月1日。
昇格の辞令を受け取り、3年ぶりに戻った自分のデスク。
その向かいに彼女の仕事する横顔があった。

 *

そんな彼女は今自分の部屋で、目の前で眠っている。

今までどんな思いで、あの男と付き合ってきたんだろう。
恋愛ドラマを見ながら、自分の恋愛と比べたりしたんだろうか。
友達には相談したりしたのかな。
あの調子じゃ、ずっと一人で抱え込んでいたのかもしれない。

今までキミが生きてきた分まで、俺が愛をあげるよ。
そしてこれからもずっと。

そんなことを口に出すのは照れくさかったから、眠っている彼女に口付けた。


なぁ、百香。
連休中どこに行こうか。
人混みは平気?
街? 海? それとも山? どこが好き?
俺に何してほしい?
すべて叶えてあげるから。
朝、起きたら聞かせてよ――――。



でも
その前に、眠れないかも……。



 *



《百香サイド》

初めて、男の人と二人で迎えた朝。

それは会社の上司。
私を救ってくれた人。
こんな私のことを好きだって言ってくれた人。

嬉しいんだけど、何もなかったとは言え恥ずかしくて、彼が目覚める前に服に着替えて化粧を済ませてしまおうと思った。

お布団をそうっとあげて、ベッドから降りる時
「ん〜…おはよ…」
後ろから声をかけられてしまった。
顔が向けられなくて、反対を向いたまま
「おはようゴザイマス…」
と答えた。

「ごめん。ちょっとこっち来て」
「え?」
私はベッドに座った。
「布団入って」

言われるがまま、もう一度お布団にもぐった。
「どうしたんですか?」
その問いに彼は何も言わず、ぎゅっと抱きしめられた。

触れてくれるすべて、気持ちが込もっている気がして
会社の姿とはちょっと違って可愛くて、私も腕を回した。

ただ、それ以上のことはなかった。
抱きしめ合って、キスをして
それだけでたくさんの愛を感じた。

心から幸せだと思った。


腕枕をしてもらい、後ろから抱かれている彼の手を握って
「手、大きいね」
私がそう言うと
「ん?」
二人の手のひらを合わせてみた。
大雅の第一関節より私の手のほうが小さかった。

「大学までバスケやってたんだけど、軽々ボール持てたヤツ結構いたよ。俺なんて低いほうだったしね」
「バスケやってたんだー。スラダン見てた?」
「見てたよー。中高生のころ流行ったなぁ」
「えー。私小学生だったよ…」
「何〜ぃ!? 俺をオジサン扱いするのか」
「違うってばー!!」
私たちはふざけながらじゃれ合った。

生まれて初めて味わった、愛しい時間。

彼の手に指を絡め、私たちはもう一度眠った。


 *


屋上という場所から、深い闇にいる私に手を差し伸べてくれた、あなたの手を。

優しくて、あたたかいこの手を私は離さない。


おわり

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このお話の続編は【こちら】から始まります。

2006-04-13・05-12


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