2 Angel or …?


それから数日後。

「吉野。歓迎会考えるよ」
昼休み、食堂で西村さんが私の向かいに座ってこう言った。
西村さんは同じ課の先輩。

「私も幹事なんですか?」
「そうだよ。どこがいい? 好きな店決めていいよ」
候補のお店のリストをもらった。
「んー、ココがいいです!」
私は昨年の忘年会をやったお店を指した。
料理が美味しかったから。

「OK。予約取っとくから案内作っといて」
「わかりました」

私は歓迎会のお知らせを作り、同じ部署の人たちに回してもらった。

 *

歓迎会当日。
マーケティング部は3つの課がある。
合同の歓迎会なので結構な人数。
幹事はゆっくり飲んだり食べたりしてる暇はなかった。
せっかくご飯楽しみにしてたのに…。

「おーい、幹事ー!ビールないよ」
「は〜い!」
「部長には熱燗ね〜」
「は〜い!」

「吉野ちゃ〜ん。ビール注いで〜」
「は〜い…」
問題はこいつだけ。エロき田(本名:榎田(えのきだ))
「榎田さん、飲みすぎ注意ですよ〜。体悪くしちゃいますよ」
そう言いながらグラスに注ぐ。
「まーまーそう言わずに」
グイグイグラスをあけてそれを私に渡し
「はい、ご返杯!」
とビールを注ぐ。

キモッ!
あんたの口つけたグラスでビールなんか飲むかっつーの!

「私、飲めないんですぅー」

私が逃げようとしたら腕をつかまれ、グラスを持たされた。
やっぱ飲まずに逃げられない?
どうしよ〜。

「あー!あれ? グラビアアイドルの子じゃないですか?」
「ん?? どこどこ?」

私の後ろに来た誰かに言われるがまま、指差す方向を振り向くエロき田。
その隙に私のグラスを取り上げた。
誰?
振り返ると、主任だった。
主任はビールを一気に飲み干して
「はい」と空のグラスを私に返した。

それまでの時間はホント一瞬だった。
エロき田が私の方を見たときにはもうグラスはあいていた。
私のかわりに主任が飲んだことに気づいてないみたい。
「ごちそうさまでしたー」
私はグラスを置き、逃げるようにその場をさった。

宴会場の個室を出てトイレに駆け込む。

は〜。
助かった。
主任助けてくれたんだ…。
なんて優しい人なんだ。

メイクくずれを確認して戻ろうとしたとき、主任と遭遇した。

「あ、主任。さっきはありがとうございました」
「吉野、酒飲めないの?」
「いいえ。それなりに飲めますよー。でもさっきのはちょっと無理かな…。
 主任は優しいですね。他の人なんて誰も助けてくれないし」
「そんな事ないよ。ただ俺もああいうの嫌だから」

「吉野!さぼんなよ」
西村さんにココにいることが見つかってしまった。

「…で・では失礼します」
西村さんに腕を引っ張られ会場に戻る。

主任ともっと話したかったのに…。

 *

怒涛の歓迎会ならぬ飲み会が無事に終わり、週が明けて月曜日。
みんな宴会のことはなかったように仕事をする。
あのエロき田も。
この光景は何回見てもおかしい。

そして私も何もなかったように仕事をこなしていく。
なんだけど、今日は朝から生理が来てしまい調子が悪い…。
は〜…。
休めばよかったかなー。

「吉野、これ入力お願い」
「はい」
主任に言われ、立ち上がった時、キュ〜とお腹が締め付けられた。
「うー…痛い…」
隣の席の明日美さんが私に気づいて駆け寄ってくれた。
「百香ちゃん!?」
「大丈夫です…」
「ちょっと待ってね。誰か、医務室に運んでもらえないですか?」
男性社員の席の方に呼んだ。

「俺が連れて行くよ」
誰かがそう言ってくれた。
誰…?

もう痛くて半分意識が朦朧としていた。

気づいたときは医務室で寝ていた。

――ガラガラ
引き戸が開く音がした。

「百香ちゃん? 大丈夫だった?」
「明日美さん…」
「主任が運んでくれたんだよ」

そっか。また主任に助けられちゃったな…。

帰り際、主任にお礼を言うと
「女性社員にはそれ相当の休暇があるんだから、遠慮なくとりなよ」
サラリと言われてしまった。
もうめちゃめちゃ恥ずかしかった。

それから1週間。
憂鬱な日々がようやく終わった。

 *

あの日以来、漣くんから一度も連絡がなかった。
忙しいって言ってたし、毎日遅くまでバイトしてるのかな。
メールもしたいけどウザがられるのが怖くてできなかった。

私は会社帰り、気づいたら漣くんのアパートの前まで来てしまっていた。


いつも、彼からのメールで私はここへ来る。
部屋に入るなり、服を脱がされる。
行為が終わったあと、彼はすぐベッドから出てタバコに火をつけ、私はその間に服を着た。

「百香、もうすぐツレが来るからさ」

それが「早く帰って」の合図だった。

「じゃあ、タバコの始末気をつけてね」
私はピンヒールのストラップを止めながら言う。

「あ、忘れ物」
漣くんはそう言い、玄関にいる私の目の前に来て「おやすみ」とキスをした。

「うん。おやすみ」
私はその時々見せてくれる小さな優しさが嬉しくて、彼の要求から逃れることができなかった。




彼の部屋の明かりをボーっと眺めていると、照明が消えて、漣くんがアパートから出てきた。
女の子と一緒だった。
誰、その子は?
私は思わず二人の後を追いかけてしまった。
ストーカーみたいだ、私。

二人はずっと体を寄せ合って歩いていた。
そして漣くんとその女の子が入ったお店は、いかにも恋人同士で入りそうな、いい感じのお店だった。

はっきり言ってショックだった。

私は漣くんと一度もああやって外を歩いたことがない。
あんなお店に連れて行ってもらったこともない。

“私”と“彼女”の違いを見せ付けられた気がした。

それから気が付いたら、自分のベッドでいつものように朝を迎えていた。
家に帰ったことも、お風呂に入ったことも記憶にない。

 *

昼休み。
私は屋上に行った。
主任が教えてくれた屋上。
『ツライことや嫌なことがあったら、また屋上に行くといいよ。その時は髪結ってからね』
その通り、髪を後ろで束ねて。

誰もいないと思っていた屋上には先客がいた。
先客はこの場所を私に教えてくれた人――。

「どうした? 嫌なことでもあった?」
「実は昨日、見ちゃったんです。彼が女の子と仲良さそうにステキなお店に入っていった所を…」

はっ、またうっかり話してしまった。
自分で自分の口をふさぐものの、心のどこかで主任に救いの手を求めていたのかもしれない。

「だから別れろって言ったじゃん」
主任はいつものようにタバコをふかしながら言った。

「私すっごく恥ずかしいんですけど、高校も大学の時も彼氏がいなくて、付き合った人は彼が初めてなんです。
 友達もそんなにいないし、彼と別れたら、私の事を必要としてくれる人はもう現れないんじゃないかと思って
 なかなか言えなくて…」

「ばかだなー。もっと自分に自信持ったら? 吉野はかわいいと思うよ。
 それに社会人デビューするやつなんて世の中いっぱいいると思うけど?
 吉野を必要としている人は絶対いるから…」

生まれて初めて、そんな風に言ってもらえて嬉しかった。
今までどんなことがあっても泣かずに、一人で馬鹿みたいに悩んできた。
友達にも相談できなかったから。
けれど主任の優しさに、一気に涙があふれ、私はいつのまにか彼の腕の中で泣いていた。

「そんなに泣くなら、本当に別れなよ。上司の命令だからね」
主任はそう言い、ぎゅうっと抱きしめてくれた。

漣くんと同じタバコの匂いがするんだけど、
主任はその中に僅かなフレグランスの香りがして、彼の腕の中は心地が良かった。
私は初めて優しい男の人のぬくもりを知った。

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2006-03-29・04-01


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