佐藤 舞子(30歳)
突然大阪から東京にある本社へ転勤となる。 青木 広人(ヒロト)(29歳) 大雅・舞子とは会社の同期。同じく大阪支店勤務。 |
大学を卒業して一ヶ月。 社会人になっても、まだ学生気分が抜けなくて 研修の打ち上げと称して、バカみたいに同期の皆で飲み会をした。 「舞子と青木は大阪か」 「良かったじゃん。仲良しコンビで」 「何、仲良しコンビって。小学生じゃあるまいし」 入社してすぐ2週間研修があり、その後配属が決定した。 私とヒロトは大阪支店だった。 二人とも関西出身でもなく、大学も関東で、ゆかりのない大阪に行くことは正直不安だらけだった。 知り合いのいない街で、気づけば週末になると一緒に過ごすようになっていた。 配属が決まった時、不安の反面、本当はすごく嬉しくて言葉では言い表せない程だった。 なぜなら私は入社式で彼を見て、一目で好きになったから。 ヒロトとは他の同期の男の人の中でも一番仲が良かった。 でもヒロトに自分の気持ちを言うことはできなかった。 言ってしまったらこの関係が壊れてしまうかもしれない。 それが怖かった。 そんな2人の関係を変えようとしたのはヒロトのほうだった。 週末、当たり前のように会社帰りに待ち合わせをする。 いつもだったらご飯を食べに行って私の住んでるアパートまで送ってくれて、すぐ帰るのに その日は違った。 「今から俺の言うこと聞いても、俺の避けたりしないでくれる?」 そう切り出された私は、急に真面目な顔をしたヒロトが何を言い出すのか分からなくて ただただ怖くて仕方がなかった。 「何…?」 「俺は舞子の事が好きなんだ。舞子は今の関係のままが良いかもしれないけど、俺は嫌なんだよ。 お前に触れたいと思うし、抱きしめたいとも思う」 「やだ…。何言ってんの?」 本当は嬉しいのに、素直じゃない私は彼が言ってくれた言葉をはぐらかしてしまった。 「そうだよな。ごめんな。今の忘れて」 ヒロトは背を向けた。 「だめ!!」 思わず、彼の背中に抱きついてしまった。 「何ですぐ諦めるの? 私のこと好きなんでしょ?」 私の言葉に振り返り、私達は初めて抱き合った。 そして初めて自分の気持ちを口にした。 「私もずっと好きだったよ」 月日が経ち、私達はいつの間にか一緒に暮らし始めた。 家事に仕事。 両立は大変だったけど、忙しい時はヒロトが代わってくれたから苦痛じゃなかった。 そして何よりも、この延長に“結婚”というものがあると信じていたから。 いつも私に嫌味を言ってきた職場のお一人様街道まっしぐらのお局はスキルアップの為と退職し、 いつの間にか私も、当時のお局と同じ年になっていた。 今となってはこの年の女性が独り身で働いていることは当たり前の世の中になっているけれど あのお局を見てきたせいか、自分だけはそう言われてたまるかと、 後輩達には常に優しく接するように心がけ 残業があれば、自分の持っている仕事以外でも手伝うようにしてきた。 若い子達にオバサンと言われないように、身なりにもいつも気を遣ってきた。 とにかく自分のことに必死で、今思えばヒロトとの付き合いに慣れすぎて 彼のことをちゃんと見なくなっていたのかもしれない。 ヒロトはいつも私のことを見守っていてくれたのに…。 彼よりも4ヶ月ほど早い30歳の誕生日。 私はヒロトからのプロポーズを期待していた。 けれどプロポーズはなかった。 ヒロトが私との将来をどう考えてるのかよく分からなかった。 6年間付き合ってきて、一度も“結婚”の言葉なんて出たことなかったし。 そんな時、少し前に出していた私の企画書が通ったことが上司から知らされた。 新しく発売されるホームエステの商品の企画で、上を目指す女性にはチャンスだと言われていた。 入社して8年目で初めてやっと自分の仕事が認められたと思った。 しかしその代わり、本社へ転勤という選択をするかしないか選ばないといけないこととなってしまった。 きっとこれがきっかけで、今度こそプロポーズをしてくれるだろうと思っていたけど 彼から出た言葉は、まったく逆だった。 「ずっと頑張ってきたもんなー。舞子ならきっとうまくいくよ」 愕然とした。 今までの日々は何だったんだろう。 見送りの時も私は彼の前では泣かなかった。 泣いてしまったら、新幹線に乗ることができなくなってしまうから…。 「じゃあな。ちゃんとメシ喰うんだぞ」 「うん。ヒロトも元気でね」 「何かあったら、なくても電話しろよ」 「うん。じゃ…」 軽くくちづけをし、扉は閉まった。 本当は、本当は彼に抱きついて、そのまま新幹線から引きずり降ろしてほしかった。 別に結婚なんてしなくてもいい。 ただ「行くな」って言ってほしかった。 しばらく席に着くことができなくて、次の駅までその場で一人泣いた。 東京の社員寮に着くと、さすが電気メーカーの会社。家電はすべて揃っていた。 あらかじめ送っておいた寝具を据え置きのベッドに敷いた。 せっかく一人で暮らすのだからと思い切ってピンク色を選んだ。 気に入って買った柄なのに、他の人から見れば充実した部屋なのに、私には寂しくてたまらなかった。 それから本社勤務が始まるとともに、慌しい日々が過ぎていった。 けれど帰ってくると、思い出すのはヒロトのことばかりで、 もう彼のことは忘れないといけないのかなと思うようになっていた。 そう思うと、彼からの電話がかかってきたりする。 『舞子? 元気?』 「うん…」 『どうした?』 「なんでもないよ」 ヒロトの声を聞いた瞬間、涙がこみ上げてきて声が詰まってしまった。 「ちょっと風邪引いたみたいで…」 『大丈夫か? 栄養のあるもの食べてる? 布団は? 薄着してない?』 風邪なんていうのはただの嘘なのに私の言葉を信じて心配してくれるから、ますますつらい。 「ごめん…。ちょっと声出ないから、また電話するね」 『おいおい、本当に大丈夫か? 無理するなよ』 「うん…。ごめんね…」 ヒロト、ごめんね…。 風邪なんて嘘だよ。 本当は泣いている所を聞かれたくなかったから。 感情が溢れて、今の気持ちをすべて吐き出してしまいそうになったから。 きっとそれを聞いたらヒロトは困る…。 そして、そう、付き合う前の時と同じ。 私は壊れてしまうのが怖かった――。 next→ 2006-09-27