61、文化祭・2


「若葉。悪いんだけど、湯のみ洗ってきてくれる? 足りないの!」
「いいよ」
 クラスメイトから頼まれた若葉は、かごに入れた湯のみを流しまで運び、急いで湯のみを洗っていた。
「どう? 繁盛している?」
 後ろから声をかけられた若葉は振り返ると、さっきまでジャージ姿だったリョウが和服に着替えていた。 格好いいねと話したかったけれど、周りに生徒がたくさんいたため、「はい」と一言だけ返し、泡だらけの湯のみを水に流した。

「あのさ……」
 リョウが何か言おうとした瞬間。
「先生! そんな所いないでこっち手伝ってください」
 同じクラスの女子に声をかけられ、リョウはその場を後にした。

(そんな所、か……)
 若葉は心の中でつぶやき、布巾で湯のみを拭いた。これくらい平気だ。 後夜祭の時、化学室で会おうって約束してくれたじゃない。自分を励ます。
 若葉が売り場へ戻ると、先程よりも明らかに女子生徒が増えている。 洗った湯のみをお茶を淹れる場所へ置き、今度は淹れ立てのお茶をテーブル席に配った。

「先生、あとで一緒に回ろうよ」
「俺、午後はずっとここにいないといけないんだよ」
「えー」

 リョウに話しかける生徒、離れた場所からリョウに向かって携帯電話やデジカメで写真を撮っている生徒。
 若葉も「先生、写真撮って」と言いたい。でも元々リョウのことが苦手だったから、 追っかけのような期間がなかったなぁ……と、ふと思い出した。

 けれど最後に一枚だけ写真を撮ってもらうことができた。クラスメイト全員で撮った卒業アルバム用の記念写真だ。
 それでも若葉は嬉しかった。大切な高校時代にリョウと出会えたから。



 そして後夜祭。
 生徒たちはグラウンドで火を焚き楽しんでる。
 後夜祭は毎年あちこちで告白が行われ、それぞれ期待を込めていた。

 リョウと若葉は誰もいない校舎で二人きりでいた。 真っ暗で薬品の匂いだけがここを化学室だと知らせている。

「ここからじゃ、後夜祭の様子が全く見えないな」
大きな実験台に座り、リョウは若葉を後ろから抱きしめている。
「いいよ。愛果たち今頃、教官室から後夜祭を見ているかな。 先生の教官室からグラウンドが見えるよね。愛果たちに最後の文化祭を楽しませてあげようと思って、貸してあげたんでしょ?」
「まあね」
 愛果は椎名に着物姿を見せたいと約束の教官室へ行った。
 若葉は慣れない着物は苦しくて、先に着替えてしまった。
 リョウは「着物のまま来ると思ったのに」と少しがっかりしたが、制服の方が目立たないので仕方がない。

「これで卒業式まで行事は何にもないんだな」
「そうだね」
「俺は教師を続けている以上、これから先、何度も文化祭は行われるけど、 若葉にとって今日が最後なんだよな。来年はここにはいない」
「うん……」
 解ってはいることだけれど、改めてリョウに言われると寂しい。
「先生、私が湯のみ洗っている時、何を言おうとしたの?」
「ああ、あの時ね。思わず、一緒に写真撮りたいなって言おうとしたんだよ。 そんなことできるはずないのに、生徒達が楽しそうに写真を撮っているところ見て、 自分も若葉と同じ生徒だったら、どんなに楽しいんだろうって一瞬夢を見た」
 耳にかかるリョウの声が気持ちよく、若葉は胸がきゅんと疼く。
「先生……」
「大人のくせに馬鹿みたいだろ?」
 リョウは後ろから若葉の顔を覗き込んだ。

「そんなこと思わないよ。私も思ったから……」
「そっか…」
「先生の和服姿、みんな写メ撮っていたよ。月曜日から先生宛てのラブレターが増えたりしてね。心配だな」
 リョウは「そんなこと心配するな」と、若葉の頭にキスをする。
 若葉はリョウの回されている腕にしがみついた。
「一つわがまま言ってもいい?」
「何?」
「先生は学校にいる時、みんなの先生でしょ? だから先生は誰のものでもない。 だけど今だけ、学校の中で私が独り占めしていい?」
「今更何言ってんだ。独り占めなんてもうとっくにしているだろ?」
 リョウは若葉の華奢な体をきつく抱きしめた。

 若葉は目を閉じて思う。これからどんなことがあっても二人一緒なら何でも乗り越えて行けるだろう。 受験も卒業も進学も、これから自分がどんどん大人になっても、彼が見守ってくれているから。


 そして季節は秋から冬へ移り変わる。
 いよいよ本格的に若葉も、リョウも受験で忙しくなるのだった。


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2006-10-08
2012-07-05 大幅修正
2013-09-20 改稿







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