59、初旅行・6


 北海道の早朝は涼しくて、ほんのり秋を感じる。
「おはよう!」
 リュックを背負った理沙が、朝ご飯を食べている若葉達の所に駆け寄って来た。

 昨日の夕飯で理沙が動物園に行きたいと言ったので、朝早く出発することになった。

「理沙、リョウ兄ちゃんと若葉ちゃんの言うこと聞くのよ」
 理沙は母親に「帽子、忘れている」とかぶせてもらった。
「うん!」
「行ってきます」
 リョウの家族に見守られながら、車は動物園に向かう。

「理沙、トイレに行きたくなったら、早く言えよ」
「はーい!」
「なんか、パパみたい」
「こっち来たら子守りばかりだよ。もう慣れたけどね」
 リョウはそう言って笑う。
 前回動物園に行った時、次は何年先かと話していたのに、こんなにも早く次が来るとはリョウも若葉も思っていなかった。 しかも二人きりじゃなく、理沙がいて、まるで十年後の未来を見ているようで幸せだった。



 お盆の連休というせいもあって、動物園は大混雑だ。
 動物を見るたびに、リョウは理沙を抱き上げて見せてやった。
 昼は理沙の母が作ってくれた弁当を三人でレジャーシートに座って食べた。
午後からも混雑は増すばかりで、動物より人間を見に来ているのかと思う程だ。
「若葉も持ち上げてあげようか?」
 そんな冗談を言っていたリョウも、慣れない子連れに疲れてきた。
 若葉は「飲み物買ってくるから二人はここで待っていて」とあいたベンチにリョウと理沙を座らせてに待って、 ジュースとお茶を買って戻ると……。

「寝ちゃった」
 リョウが理沙を指差した。
「あ、ホントだ」
 リョウに抱かれながら、すやすや眠る理沙。
「かわいいね」
「寝ているときが一番だな」
 そう言って理沙の髪を撫でているリョウはとても優しい横顔で、愛しくて、 この幸せがずっと続きますようにと若葉は心の中で願った。

 リョウの視線が理沙から若葉に移り、パッと目が合う。
「何? 若葉ちゃんもでちゅかー?」
 冗談を言いながら、今度は若葉の髪を撫でた。
 子ども扱いに、若葉は膨れっ面を見せると、リョウの頭が彼女の肩に乗る。
「ちょっと休憩させて」
「うん……」

「いいな。家族って」
 目の前にたくさんの親子連れが通っていく。
 その人たちを見つめながら、リョウはつぶやいた。
「先生。私、早く大人になるから。だから待っていて」
「急がなくていいよ。ゆっくりでいい。待っているから」
「うん」

 若葉は時々、子ども扱いされてしまうことに複雑な気分だった。 リョウは“先生”だし、大人だし、いつも同じ目線で見てくれるのは難しいことは解っている。 「急がなくてもいい」と言ってくれるのが嘘ではないことも理解できる。
 けれど、時々焦るのだ。走っても走っても追いつかない、リョウの“場所”に。 だから早く卒業して大人になりたい。誰かにと言うわけではないけれど、早く認めてもらえるようになりたい。 彼にふさわしい女性(ひと)になりたい。


 それからしばらくベンチで二人だけの時間を過ごして、眠ったままの理沙をそっとジュニアシートに乗せ、動物園を後にした。


「遠くまで、ありがとね」
 まだ眠そうにしている理沙は母親に抱かれ、しがみついた。
「理沙ちゃん、ペンギンが泳ぐトンネルに大喜びでしたよ」
「そう。良かったねぇ」

 その日の夜は、動物園のお礼にとお店で豪華な蟹料理をご馳走になった。
 若葉は修学旅行では食べることができなかったので、思わず一杯食べてしまい、 若葉のぽっこり出てしまったお腹をリョウは「すげー」と笑いながら撫でた。


     * * *


 最後の日。
 飛行機の時間までまだあるからと、リョウが「散歩に行こう」と言った。
 手をつなぎ二十分ほど歩いて着いた場所は、修学旅行の時、 一人抜け出してリョウの母校に行った若葉を自分が大好きな場所だと彼女だけに教えた河原だった。
 リョウが「懐かしい」と思う場所を、自分も「懐かしい」と思えることがすごく嬉しかった。
 あの時のように階段に腰を下ろし、真っ青な空にモクモクと浮かぶ雲の形やキラキラ流れる川を眺めた。

「先生、連れて来てくれてありがとう」
「ううん。俺の方が一緒に来てくれてありがとうだよ。ここに来て、 少し忘れかけていたことに気が付いたんだ。いつの間にか若葉といることが当たり前になっていて、 付き合い出した去年の夏のこととか、修学旅行のこともどこか遠い想い出になってしまっていて、 二人でいることの大切さとか、幸せすぎて、自分がどんなに幸せな環境にいるのか忘れていた。 うちの親があの時、冗談じゃなく本当に反対していても俺は若葉のこと離すつもりは全くないよ。 だからどんなことがあっても、ずっと一緒にいよう。若葉が高校卒業して、大学卒業しても、いつまでも」
「うん……」
「ずっと、ずっと」
「うん」

 若葉は、リョウの「ずっと」という言葉が嬉しくて、ただ頷くことしかできなかった。
 それから二人で、この美しい自然を目に焼き付けた。この夏を忘れないように。


「若葉ちゃん。もし何かあったら、いつでもリョウと二人で札幌に来なさい。何もなくても、来年の夏もその先も来てね」
「はい。本当にありがとうございました」
「気をつけて」

 リョウの家族一人一人から声を掛けられ、理沙は離れることが寂しくても泣いている。
「理沙ちゃん、また一緒に動物園行こうね」
「うん」
タクシーに乗ったリョウと若葉、そして見送る家族は、それぞれ別れを惜しむように手を振った。


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2006-07-20
2012-07-05 大幅修正
2013-09-20 改稿







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