58、初旅行・5


「ごめんなさい。立ち聞きするつもりはなくて……」
「若葉、ごめんな。こんなこと言われると思ってなかったんだよ」
 リョウは立ち上がり、よろめく若葉に駆け寄り肩を支えた。
「先生が悪いんじゃないよ。私がまだ高校生で、子どもだからいけないの。 そのせいで先生をいつもいっぱい困らせて」
「そんなことないって」
 なだめてくれるリョウに若葉は首を横に振ると、部屋に一歩だけ入りその場に正座をした。
 きちんと自分の気持ちを言おうと決心をし、一度深呼吸をする。

「私は先生のことが本当に好きなんです。一時(いっとき)だけの気持ちではなくて真剣です。 だからこそ、もしも先生の大切な誰かが私のことを反対するのなら、 先生が私のせいで幸せになれないのなら、諦められるかわからないけど、 私は先生と別れる道を選択しないといけないと思っています。でも私はこの先、 他の誰のことも好きにならないし、先生以外の人とは付き合う気ありません。 絶対にご迷惑はかけないので、先生と別れてもずっと好きでいさせて下さい。それだけは譲れないんです」

 若葉は、自分の気持ちをどう言葉にしたら伝わるのかなど考える間もなく、感情をそのまま口にしていた。

「若葉……、もういいよ」
 リョウは、頭を下げていた若葉の体を起こす。別に自分の親が何と言おうと、若葉を愛すことをやめるつもりはない。

 しんと静まり返った部屋に「誰が反対しているの?」とリョウの母が口を開いた。

「え……!?」
「誰も反対なんてしてないのよ。ただ、リョウが若葉ちゃんのこと本気で愛してあげているのか聞きたかっただけよ」
 あの発言から想像もできない言葉に、リョウも若葉も、そして父親も唖然とした。

「リョウは昔から、どこか冷めた目線で物事を見ていてね、誰にでも愛想のいい長男とは全く正反対の性格だったの。 高校卒業してここを出て行ってしまって、それから教師になるって聞いた時は本当にびっくりして……。 でも修学旅行で生徒さんたちを連れてきて、みんな“先生、先生”って慕ってくれて、私もお父さんも本当に嬉しかったの。 そんな中で若葉ちゃんが倒れてしまって、うちで休んでいったでしょ。 修学旅行の後、リョウから電話があって若葉ちゃんのことは聞いたわ。初めはまさかと思った。 自分の息子が教え子とね……。だからもう一度、二人に直接会って知りたかったの。 一時的な恋なのか、真剣な愛なのか。でも今日こうやって会えて安心した。二人ならどんなことがあっても乗り越えられると思うわ」

 リョウの母はそう言って、優しく微笑みかけた。

「あ、ありがとうございます」
 早とちりで、とんでもないこと言ってしまったのではないかと、若葉は赤面して俯く。
「ふふふっ。高校生とは思えないわ。本当にしっかりしているのねぇ」
 リョウの父親は「まったく、母さんがいきなり変なこと言うから、おかしいなとは思ったんだよ」 と、麦茶を一気に飲み干した。それから続けて、若葉に頼み事をする。
「若葉ちゃん、ちょっと“お父さん”って呼んでみてくれないか?」
「ちょっと親父!?」
 リョウは父親はまで何を言い出すのかとあたふたする。
 けれど若葉は頼まれた通りに「お父さん」と呼んだ。
「うんうん。やっぱりいいなぁ。娘は」
 長男に嫁が来た時も、娘ができて嬉しかった父は幸せそうに頷いた。
「私も“お母さん”って遠慮なく呼んでくれていいから、ねっ」
「はっ、はい。お母さん」
若葉がそう呼んだことで、一気に和やかな雰囲気に変わっていった。

 それから少し話しをして、若葉とリョウは「おやすみなさい」と用意された部屋へ戻った。



 若葉は部屋に一歩入った瞬間、安堵感で足が崩れ、涙をポロポロこぼす。

「大丈夫か?」
「うん」
「あんな言い方しなくてもいいのにな。びっくりさせてごめん」
「ううん。立ち聞きした私が悪いんだし」

 リョウは若葉の涙が止まるまで、いつものように顔を拭ってやりながら、抱きしめる。

「さっき言ってくれた言葉、すごく嬉しかった。だけど、俺は若葉がいないと幸せじゃないんだよ。 お前が譲れないように、俺も若葉のこと誰にも譲れないんだ」
「先生」
 若葉はリョウの広い背中に手を回すと、いつものように髪を撫でられて、より一層強く抱きしめ合った。


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2006-07-16
2012-07-05 大幅修正
2013-09-20 改稿







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