46、裏切


 教育実習期間が終わった翌日の土曜日。
 若葉は従姉の結婚式に出席した。披露宴後、母や伯母たちは着物から着替えるため、 若葉はホテル内の喫茶店で待つことになった。
 奥へ進むと、そこにリョウの姿があった。従姉の結婚式に行くことはメールで知らせたけれど、 場所までは言っていない。どうしてここにいるのだろう。
 リョウは若葉に気付いていない。
 若葉はリョウに声をかけようと一歩踏み出した瞬間、見てしまった。隣に水越がいるところを――。

(どうして二人でいるの……? ここホテルだよ、ね。もしかして、そういうこと……したの? するの……?)
 キスもまともにしてもらっていないのに、水越とはそれ以上のことをたやすくしてしまうんだ。 若葉は逃げ出したかったのに、胸が締め付けられ、金縛りにあったように身動きが取れなかった。

「若葉?」
 弟の和輝の声で我に返った。
 同時にリョウも若葉に気付く。
 立ち上がったリョウに、隣に座っていた水越も気付いた。

「先生、偶然ですね。こんな素敵なホテルでデートですか?」
 若葉は適当な言葉を見つけ、口にする。
「わ……早坂……」
 リョウの背中に冷たい汗が一筋流れる。

「和輝。私、先に帰るね。お父さん達に伝えて」
 若葉は走り出し、ホテルのロビーを抜け、外へ出る。 履き慣れていない高いヒールのせいで思うように走れない。けれど無我夢中で走り続けた。
 ドレスアップ姿で街を走る若葉を、すれ違う人は不思議そうな顔で目で追う。
 そして若葉は勢いよく転んだ。
 こんな街のど真ん中で転んで恥ずかしいという思いと、このまま消えてしまいたい思いで起き上がることができない。
 リョウが自分以外の女性と二人きりで会うなんて思ってもいなかった。浮気をするなんて想像すらしていなかった。
 水越は、あの優しい手にふれられたのだろうか。彼が自分にいつもしてくれるように髪をなでられ、 頬に移り、愛しそうに唇に指を這わす。
 その次はしてもらったことがないから分からないけれど、 口付けをし、服の上からでもわかる細いのに逞しさもある胸に、水越の体と重なり合って……。
 想像したくもないのに、頭の中で勝手に映像が浮かんでしまう。

“若葉、好きだよ”“愛してる”“ずっと若葉のそばにいるよ”
 リョウに言われた言葉や、抱き締めてくれた温もりも、たった二週間の出来事で全部信じられなくなってしまった。

「どうしたの? 大丈夫?」
 通りすがりの女性が若葉に声をかけ、手を差しのべた。
「あ、ありがとうございます」
 やっと若葉は立ち上がり、お礼を言って血だらけの足を引きずり、公園のベンチに座り、 これからどうしようかと思った。本当はリョウに電話をかけて迎えに来てもらいたい。 けれどリョウは追いかけてくれなかった。心のどこかで、いつかのように見つけてくれると思ったのに……。

 立ち上がったけれど、傷口が痛み出し、足首もひねったようで歩くことが難しい。
 携帯をバッグから取り出し、愛果に電話をすると「すぐに行くから」と椎名の車で迎えに来てくれた。



 若葉は椎名と愛果に支えられながら部屋へ連れて行ってもらった。 バスタブのフチに座り、愛果は怪我をした若葉の足についた砂や汚れをシャワーで優しく洗ってやった。
「ひどいね。怪我もだけど、リョウ先生も……。椎名先生! ガーゼってある? 絆創膏じゃ無理だよ」
 愛果がバスルームから、椎名に向かって叫んだ。
「入ってもいい?」
 椎名は若葉の足を見て「本当だね。薬局行ってくる」と、出て行った。
 愛果が自分の服を用意してくれて、若葉はそれを借りて着替えた。
 椎名が戻り、薬局で買ってきてくれた薬を塗って、ガーゼを貼ってもらった。

 それからしばらくしてインターフォンがなり、入ってきたのはリョウだった。 若葉はリョウから逃げようと部屋の隅に逃げるが、リョウは若葉を捕まえた。
「離して。痛い……」
「二人ともありがとね」
 リョウは若葉を抱き上げて、愛果たちにお礼を言い、玄関から出て駐車場へ向かった。 若葉が「降ろして」と何度言っても聞かない。
 以前にもこんなことがあった。夏休みにテニスで遊んでいたら体調が悪くなり、 今日のようにリョウが若葉をお姫様抱きをした。そして同じように助手席に乗せた。
 けれどこの日違ったのは、車に乗り込んですぐ、リョウは若葉を抱きしめた。
「本当にごめん。今日のことが終わったら、若葉にきちんと話すつもりだったんだ」
 リョウは潤み声で若葉に謝る。
「とりあえず家に連絡して。きっと家族の人、心配しているだろうから」
「うん……」
 若葉は弟に愛果の家にいると嘘のメールをした。
 車内は沈黙のまま、リョウの家へ向かう。
駐車場に車を停めて、助手席側に回り込み、再び若葉を抱こうとすると 「もう逃げないから」と、リョウは肩を貸すように部屋へと導いた。
 それから二人はソファに座り、リョウはすべてを若葉に話す。


←back  next→


「cherish」目次へ戻る



・・・・・・・・・・


2006-04-04
2012-07-05 大幅修正
2013-09-20 改稿







|| top || novel || others || blog || link || mail || index ||



 

inserted by FC2 system