36、修学旅行・6


 ノック音で我に返り、リョウの兄が再び入って来た。
「ごちそう様でした。とっても美味しかったです」
「全部食べてくれたんだ。嬉しいな」
 そうそう、とリョウの兄は数冊のアルバムを若葉の前に置いた。
「“先生”のアルバム見る?」
「見たいです!」
 まずは生まれてすぐのアルバムから見せてもらった。
「わー、可愛い!」
「リョウ、女の子みたいでしょ?」
「本当ですね」
「あいつよく間違えられていたらしいよ」
 リョウの兄は子どもの頃の話を若葉にたくさん聞かせながらページをめくった。 最後の一冊になり、それは高校生のリョウが写っていて、ブレザーを着ている。
修学旅行の写真だろうか。友人たちと楽しそうだ。ちょうど今の若葉と同じ頃。
「若葉ちゃんと、同じ年のリョウだね」
「はい」
「リョウのこと、好きでしょ?」
 兄は突然、若葉に質問を投げた。
「えっ、どうして」
「すぐわかるよ。そしてたぶん、俺の感だけどリョウも君のことは“特別”なんだろうね」
「えっと、私は先生のこと好きですけど、先生は私のことなんて……」
 ……と言いかけて言葉が詰まった。本当はどう思っているんだろう。若葉はわからなかった。
「大丈夫だよ。リョウは若葉ちゃんのことが大好きだと思うよ。だって、 ここに運んできた時も、ずっと必死に髪を撫でながら名前呼んでいたし。あれはただ生徒のことを心配しているって感じではなかったね。
まったく、あいつはどうしようもないやつだ……」
 リョウの兄はそう言いながら「ほら、そんな顔しない。リョウが来たら笑顔見せてあげなよ、ね?」 とリョウに似た瞳で若葉を励ました。

 そしてリョウの母が戻り、小さく切ったリンゴを持って来た。
「一緒に食べましょう」
「はい」
 リョウの兄は母親と入れ替わりでアルバムを持って部屋から出ていった。 今度はリョウの母が、リョウの話や北海道の秋から冬にかけての話を聞かせた。

「ごちそうさまでした」
「ちょっとは元気が出たかな?」
「はい」
「よかった。でも無理はいけないから、もう少し寝てなさいね」
「はい」
 若葉はもう一度横になった。リョウはこの家で、この部屋でどんなふうに過ごしたのだろう。 そしてどんな夢を見ていたんだろう。まさか将来、自分の教え子がここで寝るなんて想像もしなかったのだろうな。 リョウの母と兄と話せたことで若葉の気持ちはかなり落ち着いた。
 そして再びリョウの兄が部屋に「若葉ちゃんにこれをあげる」と一通の封筒を受け取る。
「中、見てもいいですか?」
「いいよ」
 封筒を開けると、リョウの赤ちゃんから高校生までの写真が何枚か入っていた。アルバムの台紙から剥がした物だった。
「もらってしまっていいんですか?」
「俺からのプレゼント……、お土産って言ったほうがいいかな? リョウが見たら恥ずかしがるだろうけどあげるよ」
「ありがとうございます。宝物にします」
 そして足音が聞こえ、扉の方に目をやると入ってきたのはリョウだった。
「体調はどう?」
「もう大丈夫です。迷惑をかけてごめんなさい。先生にも、先生のご家族にも、クラスのみんなにも」
「いいよ、そんな心配しなくて。さ、タクシー待たせてあるから行こうか」
 リョウは若葉の体を支えながら外へ出た。若葉は振り返り、リョウの家族にお礼を言った。
 そしてリョウの兄が「また遊びにおいで」と声を掛ける。 若葉は深々と頭を下げてリョウに促されながらタクシーに乗り込み、しばらく沈黙が続いた。
「若葉、ごめんな。全部俺のせいだ」
「……」
「俺さ……」
 若葉は何も聞きたくなくて、リョウの話そうとしている言葉を遮った。
「先生、私もう大丈夫です。だから心配しないでください。 ちゃんとご飯だって食べられるし、泣いたりしないから。もう私のことは気にしないで。それから……」
 若葉はバッグの中から、先程リョウの兄からもらった封筒を差し出す。一枚だけ抜いて……。
「何これ?」
「これ、先生のお兄さんからもらったけど、持っていてもつらいし、必要ないから返します」
 リョウは封筒を急いで開けて中身を確認した。それが自分の写真で、 どういう経緯で兄が若葉に渡したのかはよくわからないけれど、リョウは彼女の言葉で気付いた。 彼女が自分と別れる道を選んだということを……―――。

「先生、ごめんね……」
 リョウは若葉の手を離されないようにしっかりと握っていたけれど、何も言ってやることができなかった。
 若葉はこぼれ落ちそうな涙をこらえながら、窓の外の景色を見ていた。 綺麗な夕焼けが空高く広がっている。こんなに美しい町で育ったんだね。そう話しかけたい言葉を飲み込んで。

 そしてタクシーはホテルのロータリーに停まる。 何もなかったようにリョウから手を離し、若葉は振り返ることなくロビーで待っていた愛果たちの元へ駆け寄った。
「若葉! 大丈夫だった?」
「心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」
 若葉は待っていてくれた友人にありがとうと一人ずつ話す。
 愛果だけはまだ心配そうな顔を浮かべている。
「本当に大丈夫なの?
「もう平気だよ」
 愛果は若葉の言葉を聞いて、リョウと寄りが戻ったのだと勘違いをし「よかったね」と彼女を抱きしめた。

 その姿をリョウは遠くから見つめていた。


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2006-02-10
2012-07-05 大幅修正
2013-09-20 改稿







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