30、十分間


 その晩、若葉はリョウからの電話を待つ。
 リョウは帰宅してすぐ、電話かメールをするのが日課になっていた。

「先生、どうしてお店のこと教えてくれなかったの?」
「古い店だし、話すほどではないかと思ったんだよ」
「お店の蟹、私に全部食べられると思った?」
 若葉は怒っているのかと心配になっていたが、クスクス笑いながら冗談を口にし、リョウは安心した。
「一律の決められた予算ではたいしたメニューにならないからサービスするって、 実家に電話したら言っていたよ。市場に行けばたらふく試食させてくれるし、若葉も大満足の量だろうな」
「私、蟹も楽しみだけど、それよりも先生の通っていた高校を絶対見たい」
「蟹よりも学校が上?」
「そう。先生がどこで高校生活を送っていたか知りたい」
「そっかー……」
「内緒で二人で写真撮れたらいいね」
「いつでも撮れるだろ?」
「違うよ。高校の修学旅行は一生に一度しかないんだよ?  しかもそれに大好きな先生と一緒に行けるなんてすごくない?」
 若葉の素直すぎる言葉で、楽しそうな表情が目に浮かんだ。リョウはふと若葉に会いたくなる。
「今から会いに行ってもいい?」
「え? もう九時過ぎだよ」
「この時間だったら十五分で着くから」
 リョウは彼女の返事も聞かずに携帯を切り、部屋を飛び出て車に乗り込む。
 こんな風に次の日のことも考えず、誰かに会うのは初めてだった。 リョウはハンドルを握り、彼女の元へ急ぐ。

 若葉は急いで着替え、母に「先生とちょっと会ってもいい?」と許可を得る。 少しだけならという条件付きで返事をもらった。会いたい気持ちがいてもたってもいられなくて外へ出ると、 冷たい空気が、もう秋が来ているのだと知らせる。

 リョウの車が彼女の家の前に着くと、助手席の窓を開けて若葉に「乗って」と促す。 ここは住宅地なので、少し離れた路駐のできる通りに出て停めた。

「若葉……」
 リョウは若葉の髪を撫でるけれど、それ以上の距離は保つ。これは彼女を守るための一つだった。
「先生? どうしたの?」
「なんでもない。ただ会いたかっただけ」
「今日会ったでしょ?」
「学校で教師と生徒としてな。約束もしないで会えることは、 普通にしてみたらすごく羨ましいかもしれないけど、俺たちにとってみれば約束をして会うことが最高の幸せじゃない?」
「そうだね。学校から出た先生……リョウが一番好きだよ。二番目はリョウ先生が好き」
 クスッと若葉が微笑みかける。
 リョウはこの顔の見たさで、どんな時間を割いても会いたいと思う。

「ごめん。遅いし、もう行かなきゃな」
 時計を見て、呟く。
「うん……」
 寂しそうな顔をして若葉は小さく頷いた。リョウもそんな彼女を切なく見つめる。

 たった十分間だけど、それが二人の幸せでもあった。
 リョウは若葉の幸せな顔をもっともっと見ていたかった。


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2006-02-10
2012-07-05 大幅修正
2013-09-20 改稿







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