06、恋心


「若葉ちゃん、今日気になった奴いた?」
 どうやら“新しい彼氏探し”のことは愛果が言ったらしい。 椎名は、愛果と三人でいる時は若葉のこと下の名前で呼ぶ。そういうところも先生っぽくなくて、 若葉は椎名のことが愛果の彼氏として気に入っている。

「んー……、よくわからなかった。でも一人、すごく上手な人がいるんだね」
「あ、あいつのことかな」
 三人で男子テニス部の噂をしていたら、リョウが戻り席に着いた。
「ほら」
 リョウは若葉に持って来た服を渡す。
「寒いんだろ? 風邪引くから着たほうがいいよ」
 その服を広げるとトラックジャケットだった。動きやすいジャケットは春頃リョウがよく着ていた。
 若葉もよく覚えている。初めて見た時、かっこいいジャケットだと思ったから。
 今日のリョウはデニムにTシャツという普通の格好だが、 Tシャツに入っているロゴやマークが若葉の好みだった。
「ありがとうございます……」
 お礼を言いながら袖を通すと、若葉には大きめで、車の芳香剤の香りが少しした。

 四人で食事をしながら、たわいもない話を交わす。学校の話でも、部活の話でもない、どこでもありそうな世間話だ。
 若葉にはそれが単純に嬉しかった。

 一方リョウは椎名とくだらないことを話すのはいつものことだったが、 ふとそばで笑顔を浮かべる若葉と視線が合うだけで複雑な気持ちになった。

 七時頃、リョウは腕時計を見て、「そろそろ帰るか」と店を出ることになった。

 そして先に椎名の住むマンションへ着いた。愛果も車から降りる。 この二人は偶然にも徒歩十分程の近所に住んでいた。互いに「おやすみ」と手を振り、車は再び動き出す。

「あの二人、本当に仲良しだなぁ」
 若葉はうらやましそうにぽつりと零す。
「つらい試練だけどな。いつまで抑えることができるか俺は楽しみだけど」
「え?」
 リョウの言葉の意味が理解できずに聞き直そうとするが、 リョウは「なんでもない」と言ってそれ以上教えることはなかった。

「さ、行くか。お前ん家、どの辺?」
「南駅ってわかりますか? そのすぐ近く」
「だいたいわかる」
 夜の帳が下り始め、すれ違う車のライト、前の車のブレーキランプが二人の顔を照らした。

「この間、ありがとな」
「え?」
「タオル。わざわざ同じの選んでくれて」
「ああ、全然……」
 若葉は恥ずかしくて思わず視線を外に向けてしまった。
「あのタオル、程よい厚さで使いやすいんだよな」
「そうなんですか?」
「そうなんですかって、お前あのタオル捨てたの?」
「まさか!」
 捨ているはずがない。若葉の一番の宝物となっているのだから。

「あれ、まだ買い換えたばかりで二回くらいしか使ってないし、 もったいないから使えよ。あー、でもあれか。お前、妙に俺のこと避けているっぽいし、 嫌いな奴のタオルなんて使いたくないよな。別にいいよ、捨てても」
 若葉は返す言葉が見つからなかった。たしかに若葉はリョウのことを避けていた。 そのことに気付いていたのかと思うと胸が痛む。けれどそれは正反対の若葉であり、 本当の気持ちは見抜かれていないようで胸を撫で下ろした。

 話している間に家の近くまで来ていた。
「で、家はどこ?」
「ここでいいです」
「ダメ。もしここで降りて家に入る前に何かあったら、俺の責任になるでしょ」
「じゃあ……。えっと、ここをもうちょっと真っ直ぐ行って、一つ目の交差点を左に曲がってすぐの家です」
 車がゆっくり左折した。
「ここです」
「ここ? なんか、可愛らしい家だな。覚えやすい」
 街灯に照らされた三角屋根をリョウは見上げる。
「母の趣味なんです」
 若葉が小さかった頃は古い日本家屋で、三年程前に建て替えた。海外ドラマに出てきそうなデザインの家は近所では少し目立つ。

「ありがとうございました。あ、これも」
 若葉は借りていたジャケットを脱いだ。
「お前……、あんまりそうやって露出するなよ。そういう格好していると、へんな男が寄り付くぞ」
「へ?」
 この時はまだリョウの忠告が解らずに、露出と言っても今時こんなデザインは普通だし、 何を言っているんだろうくらいの気持ちだった。
「まぁ、いいや。遅くなってごめんな。じゃ。あっ、それから夏休み中、浮かれて変な行動するなよ!」
 リョウは車の窓を開け、一方的に捲し立てたあと車を発進させた。

 そして運転席の自分一人になり、頭を片手で抱え込む。
 私服の若葉は大人びていて、薄く化粧もしていた。彼女を振ったあの男だけでなく、 もっと痛い目に遭ってしまわないか気が気でない。またあんなふうに泣くことがなければいいけれど。 リョウは若葉のことばかりが心配で、生徒の中の一人だという認識が薄れていった。


 若葉は寝る前にリョウとのことを思い出す。今日一日、たった数時間でリョウの優しさをさらに知ってしまった。
「お願いだからこれ以上優しくしないで。その優しさが生徒(みんな)に向けるものだったとしても……」


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2006-02-09
2012-07-05 大幅修正
2013-09-20 改稿







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