01、失恋


 校庭の木々は緑で生い茂り、空は雲一つなく、優しい風は彼女の短いスカートをひらひらと揺らす。そんなすがすがしい五月。

「……――だから、別れてほしい」

 スカートから伸びるまっすぐな脚は立ちすくんで動くことができない。


 今から半年ほど前、早坂若葉(はやさか わかば)は一年生の十一月に突然一つ上の先輩から告白をされた。

 時期的にも文化祭のあと、そして年末のイベント事が待ち構えているということもあって、 周りは彼女ができたとか、彼氏ができたとか、そういう話題が多くなっていた。
 先輩とは文化祭の実行委員として同じ係を任されたのをきっかけに知り合い、 その実行委員の打ち上げの帰り道に突然告白をされた。先輩のことはいい人そうだけれど、 どんな人なのか詳しくはわからないから、丁重に断ったら、 「あんな格好いい人、もったいない」と周囲からの押しもあり、三回ほどみんなで遊んだ日の帰り、二度目の告白にOKをした。
 先輩は一つ上の学年で、某アイドルに似ていると人気がある。明るくて、 みんなの盛り上げ役。恰好良いのを鼻にかけている感じもなくて、気取らない人だった。そして、とても優しい人だった。
 それなのに同じクラスに別の彼女ができたらしく、あっさりと別れの言葉を告げられ、現在に至る。

 一か月前からなんとなく、そういう予感はあった。
 始めの頃は一日に何通もメールが来て、いつ勉強しているのかと 若葉のほうが心配してしまうほどだった。それが春休みに入る寸前の頃からだろうか。 メールしても返ってこなかったり、返事がそっけなかったり。春休みに約束していた遊園地には行くこともなく、「忙しいから」と会うことすらなかった。

 先輩は、ずっと黙っていた若葉にイライラした様子を見せた。優しかった彼の面影はない。
「はっきり言って、重いんだよ。そうやって泣かれるのもうざい。もっとサバサバしていると思ったのにさ」

 サバサバしている? 別にそんな風にしていた覚えもない。重いとかわかんないし。 若葉は頭の中で抗議をしていたが、口にすることはなかった。

 いつの間にか彼は去り、独りになっていた。そう気付いた瞬間、また涙が溢れてくる。
 ぼやけた視界の中に、誰かが自分の前に来たことに気付く若葉。 顔を上げちらっと見ると、制服を着た人ではない。先輩のはずないか……。少し落胆する。
 ジャージを着た男の人だということは判り、誰だろうとおずおず確かめてみると、 この四月からの担任、平石涼(ひらいし りょう)だった。
 担任だとわかって、若葉はすぐさまその場から去ろうとした。

 リョウはどう引き止めようかと迷いながら、思わず「失恋か?」と聞いてしまった。
 若葉はビクリとし、失恋の瞬間を見られていたことに羞恥を覚え、逃げようとする。
「おい」
 リョウの大きな手が若葉の腕をぎゅっと掴み、若葉は「な、何ですか?」と平然を装って返事をする。
「鼻水」
 恥ずかしすぎる指摘に言葉も出てこない。たしかに泣きすぎて鼻水が出ていた。 よりによって担任に見られるなんて恥ずかしい。若葉の顔は熱くなり赤面する。
 とっさにポケットのハンカチを探すけれど、こんな時に限って ハンカチもティッシュも持っていない。手で顔を隠したままにしていると、リョウは若葉の前に立ち、 持っていたスポーツバッグからタオルを出した。
「ほら」
 若葉は受け取らなかった。受け取れなかった。
「ったく、これじゃ小さいのか」
 仕方ないなとハンドタオルをバッグにしまい、もう一つ大きなタオルを出した。
「使ってないから安心しろ。これやるから鼻拭けよ」
 リョウは少し微笑んで、受け取ろうとしない若葉の肩に半ば無理やりスポーツタオルをかけて、 そのままテニスコートの方に歩いていった。
 そして、若葉はリョウの姿が小さくなるのを待ってから、遠慮なくそのタオルで鼻をかんだ。

 その日の夜、若葉は同じクラスの友人、七瀬愛果(ななせ あいか)に彼氏に振られたことをメールし、 明日の朝、少し早めに登校して話を聞いてもらうことになった。


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2006-02-08
2012-07-05 大幅修正
2013-09-20 改稿







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